キーンと、拡声器の音だけが喫茶店の店内にいまだに響いている。 しかし、背後から聞こえたその場所の、出窓に置かれた白い拡声器の姿はあれど、姿は見えず。 周りがシンと沈黙し、こちらを見ている中、玲菜は至極冷静にケーキを一口ほおりこみ、 「おいしーね」 と、マーシーの方に笑いかけた。 マーシーは少しだけ首をかしげたが、目の前の女性に習って紅茶を口につけた。 「そうですね」 そう言ってマーシーもまた、微笑んだ。 『待ちたまえ、君たち!』 キンと、またしても響く音。 その音に周りの客が顔をしかめるも、マーシーは至極たんたんと玲菜に尋ねた。 「55デジベルの環境基本基準値に達しています。警察に通報しましょうか」 「うーん、よくわかんないけど、警察は待って待って。もうじき本人が来ると思うから」 「そのとーりだ!」 ダンと机に巨大なパフェを突きつけたウエイター。 「いらっしゃいませ、お客様。よくものこのこ現れたなこの間男め」 「……接客するか、因縁つけるかどっちかにしたら?」 持ってきたパフェをつつきながら口を尖らせた玲奈。 「それに、あたしたちはとっくに別れてるでしょ、『間男』なんて人聞きのわるい言い方しないでよね」 たった一週間前の出来事である、忘れるべくもないかえすがえすも腹立たしい出来事だ。 「そ、それは…その。ものの弾みってのがあるだろう!?あの時は…っ」 「そんな話聞きたくなわよ、とにかくあんたが言ったの、あたしに付き合えるような男なんて、天変地異が起きたって現れやしないって、ね。だからあんたにこうして見せびらかしに来たのよ、どう?パーフェクト!文句のつけようのない好い男でしょ」 「ちがう!本当はそのあとに『俺以外は』って付けようと思ったんだ!なのにレーナ、君が…」 「―――少々、よろしいですか?」 いつもの笑顔でマーシーが二人の間に立った。 「大変参考になるデータをいただけたことは感謝していますが、そろそろ私の有用性についても論議していただけないでしょうか」 割って入ったマーシーに、男の方は文句を付けようと息を吸う間に、玲奈が一つ手を打った。 「そうね、もうすっきりするだけしちゃったし、今度こそ遊びにいこっか」 そう言って、マーシーの腕を取って外へ向かおうとする。 『まてぇい!』 キィイィィン 拡声器で再び吠えた男。 握りしめたマイクフォンをわななかせ、それからそれを叩きつけて、マーシーを指差した。 「…先ほどから気になっていたのですが、あなたは少しばかり公共という言葉を理解されたほうが」 「決闘やっ!」 男はマーシーにそう言った。 「俺のレーナを奪うんやったら、俺の屍を越えてゆけいうてんのや」 マーシー達の周囲はすでに客とよべる人はなくなってしまっていた。見かけるのは幾人かの従業員たちである。同僚…であろう、この男の暴挙をどうしたものかと困ったように見守っていた。 その周囲と、大手の広げて立ちはだかった男を見比べ、マーシーはほんの少しだけ肩をすくめた。 「あなたの言うことは不可能です。玲奈さんは玲奈さんであって、あなたのモノではないでしょう。それにあなたは屍ではない、私は殺人を博士から止められています。したがってあなたの言う『屍を越える』ことはできません」 きっぱりとそう答えたマーシーに男は口をぽかんと空けた。 「な、なんやて?お前なんや変とちゃうか?」 「えっ!」 驚いたのは玲奈の方だった。非常にまずい、これ以上にないほどまずい。 いくらマーシーが人間に見えようが、どれだけ会話ができようが、やはり彼は機械なのだ。博士は、ばれてはいけないなどとは言わなかったが、マーシーがロボット知られるのは非常によくないことくらい玲奈でもわかった。 「あ、あんたに変だなんて言われたくないわよ!さ、こんな人もういいから、行こマーシー」 腕をつかみ取った玲奈、びくりともしない。 それどころかマーシーは一歩、男の方へと近づいた。 「変…ですか?私が、どのように?」 「な、なんや…?」 男の方も平均的な身長と体格を持ち合わせていたが、それより頭一つ大きいマーシーである。しかも顔はやはり常の笑顔なのだ、変というには十分すぎた。 これも一種『表情が乏しい』というのかしら。と玲奈はそれどころではない現状の隅でそう思った。 しかし、そんなことを思っているのが間違っていたし、止める相手も間違っていた。 止めるべきだったのは、男の方だったのだ…。 男はほんの少しでも自分が怖気づいてしまったことに気づき顔を真っ赤にして、とっさに拳を振り上げた。 ガンッ! 玲奈はとっさに目をつむった。 なんてことをっ!喧嘩っ早いのは知っていたけどまさかこんなことになるなんて。 おそるおそる、目を開けた玲奈の眼に映った光景はまさに想像通りの光景であった。 マーシーのあの顔に男の拳が当たっている。しかも、聞こえた音は人の殴られるその音ではなかった、きっちりがっちり金属音を叩いた鈍い音であった。 「いってぇっ!!」 叫んだのはもちろんマーシーではなく、男の方だった。 うずくまって拳をさすって涙目でうらめしそうにマーシーをにらんでいた。 「お前、何なんだよ、いったい何なんだ!」 と叫ぼうとしたつもりだった、しかしそうする前に彼は絶句した。 なぜなら、目があったからだ、しかもほんの10センチと満たない距離で彼はマーシーと見詰め合った。 「な…っ」 男は軽々とマーシーに猫のように後ろ襟をつかまれ宙に浮いて彼の眼前にいた。 「『教授』はおっしゃられました……『やられたら、やり返せ』と」 空いているマーシーの片腕が男の顔を捉えていた。 今のいままで成り行きを茫然と眺めていた玲奈は、その光景にふと一週間前の出来事がよぎった…。 ――紙きれのように千切れたドア。 ――未完成だとぼやいた博士の言葉。 ――いつだって、厄介なことばかり引き起こす自分の習慣。 「だめっ!マーシー、やめて!死んじゃう…」 その言葉にマーシーは玲奈を見た。 そんなマーシーの顔はいつもの、あの見惚れるような笑顔だった。 |