一切の自然の光を入れることを容赦しない、隔絶された彼女の住む地下室。 彼女は一人の男と向かい合っていた。 男は、腰まである極薄い色の金髪を無造作に放り出したまま、彼女の黒目がちの瞳を凝視し、今まさに彼女が言わんとすることを待っていた。そして、彼女は口を開く。 「選択というのは責任なんだよ」 「はい」 「たとえそれが自分自身の最良の選択であっても、けしてそれは完璧な選択ではないこともある」 「はい」 「君にその責任をとりなさい、とは言わないよ」 「………」 「ただ、考えて知って欲しい。選択の意味と重さと責任を」 「………はい」 「さあ、選ぶんだ。それが君の始まりだよ」
第六節 1人、2人、3人、4人、5人、6人… ドアベルが鳴るたびやってくるその姿に、あの金髪の長身の姿が現れることはない。 今は現在。博士と約束した日、約束した場所、約束した時間、そして、自分。しかし約束の彼の姿はない。 「は、はかせの…はかせの……ばかーーっ!」 叫んだところで、彼はやってこず、思い返すのは一週間前の彼女の憮然とした表情だけだ。 あの二足歩行のロボットに彼女は決めさせると言った。それはつまり… 「つまり、マーシーは『行きたくない』って言ったんだぁ」 泣きたくなったが、マスカラが落ちると厄介なので涙はぐっと堪えてこぶしだけを固めた。そして 「マーシーの…っ、マーシーのば…」 「一人ごとを人の多い場所でするのは得策ではありませんよ」 ポンとぎこちなく玲菜の肩に熱い手のひらが乗せられた。 「ま、マーシー!」 「はい、マーシーです」 一週間前となんら変わらない常の笑顔で彼が玲菜に微笑んだ。 「い、い、いつから!?」 「何時というのは?」 「えっと…、何時からここにいるの!?」 入り口を今か今かとずっと張り込んでいたのだ、その時にはマーシーの姿はなかったと確信できる。 「玲菜さんがくる、1時間12分42秒前にこの店に入りました」 どうやら、博士の言葉が移ったらしい。玲菜のことをマーシーは『玲菜さん』と呼んだ。 「え、だって私、約束より30分も早く来たのよ」 「ええ、ですからその1時間12分42秒前にです」 「………」 脱力して、ため息をついた玲菜。それならば早く声をかけてくれればいいのにと、そう思ったのだ。 そんな心を読んでか、マーシーは口の端を少しだけあげて 「声を掛けなかったのはけして悪意があってしたことではないので許してください。すこし貴方を観察したかっただけですので」 (観察…って) それを、『だけ』と言ってしまっていいのかどうか、玲菜には判断の難しい問題だった。 「ん〜〜〜と、………まいっか、じゃそこ座って」 玲菜は眉間に寄せていたしわを急に解くと、マーシーに向かいの椅子に座るよう促した。 「あ、マーシー髪きったの?」 椅子に慎重に椅子に腰をかけるマーシーの髪が以前の長髪ではなく、肩に付かない程度に短くなっていることに気づいた。 「ええ、博士にそんな長い髪をした男はいない、と言われまして」 「んーまぁ、いない訳じゃないけどねぇ。じゃ、その服も博士が?」 「いえ、これは技師の服をお借りしました。変ですか?」 そう言って袖のあたりを見るマーシーに、玲菜は首を振ると改めてマーシーの服を見た。 博士からも時々聞く技師は相当身長のある男なんだろう。春用の薄いベージュのジャケットにボーダーの入ったカッターシャツはまさにマーシーにぴったりだった。初めて会ったときがバスローブ姿だった上、あの博士が服装に頓着なんてするわけが無い、と思っていた玲菜には期待以上の仕上がりだった。 玲菜にも、いろいろ言いたいことや尋ねてみたいことはあったが、とにかくマーシーは来てくれた。 それだけで玲菜にとっては、一番重要でハッピーでアンタッチャブルなことだった。 「よーし、それじゃマーシーどこいこっか?映画?ドライブ?食事?あ、食事って食べれるんだっけ?」 「食道も胃もありますから、食べることはできます。ですが消化をするのはエネルギーが必要なので節約のため、丸のままあとで回収されます。…というか玲菜さん、私には話がよく理解できないですが」 「あ、その玲菜さんって言うのもどうかと思うのよねー。やっぱり玲菜さんってのは博士の専売特許みたいなもんだし。別の呼び方にしない?」 「名称に意味は無いと思われます。ただの識別コードです」 「…それ、教えたの博士じゃないでしょ?だめだめ、そんなの絶対。こうなったら意地でも愛称で呼んでもらうわよ」 「はあ、それでは何と呼べばいいですか?」 「そうねぇ」 うーん、と唸らせた玲菜と、マーシーのそばに、ウエイトレスが一人やってきた。先ほどマーシーがいた席にあったお冷やのグラスと、おしぼりを持ってきた。そのついでに玲菜はコーヒーのお代わりとケーキを、マーシーは紅茶を注文した。 「ところで、私は人と会うために呼ばれたと、博士に言われたのですが」 「あーうん、うん」 やってきたコーヒーに舌を湿らせ、いまだに愛称を考えていた玲菜は、ぼんやりと相槌をうった。 正直なところ、発端となった玲菜の怒りなど、もうすでにどこを探してもない。 そも飽きっぽい玲菜には、あまり持続というものがないのである。博士はそれを見越した上で玲菜との約束を1週間後と言ったのかもしれなかった。 「それで、その私と会わせたい方というのは…」 「うん、もう来てるわよ」 マーシーは首をそれぞれ90℃づつ回してみた。彼の眼球運動は人と同じなので、およそ360℃を見渡せる。 そうして、マーシーが見渡してみると、喫茶店は吹き抜けから二階が覗ける洋風造りの建物であった。 実物は初めて目にするが、それなりに大きな喫茶店である。昼の過ぎたこの時間にテーブルの空きもそんなに目立つほどではないということから、それなりに繁盛しているのだろう。 お客はほとんど女性であり、ちらちらとこちらの覗く視線だけは幾人かは知ることができたが…。 「たしか、男性と待ち合わせだと」 「うんうん…あ、レイちゃんてどう?」 「玲・菜・さ・ん?」 どこまでも笑顔のまま、ズイと顔を近寄らせて詰め寄るマーシー。弾みでテーブルがゆれた。 近寄ったマーシーの顔をまじまじと眺めて、玲菜は感嘆のため息を漏らした。 「肌も綺麗ねー、うらやましい」 「…いえ、そんなことはいいですから」 基本的に目的があって行動する。単純と言えば単純なマーシーの行動理念は、先ほどからふらふらと主題を変える玲菜に振り回されてばかりだ。 「あのですから、その待ち合わせの男性は…」 再び話を元の軸に戻そうと話題を振りなおしたマーシーと玲菜の傍から 「僕ならここだぁーーっ!レーナから離れろ、この『間男』っっ!!」 顔をしかめた玲菜の背後から、キーンと独特の音を残して… ―――拡声器の音が響いた。 第六節 終 |