『もっとも難解で理解しがたい感情は何だと思う、玲菜さん』 たしか、失恋記録20人目のあたりだったか、玲菜も博士もまだ大学一年の頃。 まだ2人が友達とも知り合いともいえぬ時に、彼氏に振られた腹いせに博士をやけ食いに強引に誘ったのだった。 呆れてるのか、面白がってるのか(後者なら許せない)、泣きながら食べる玲菜を見て、博士がそう言ったのだった。 『うー、わかんない。あたしは博士のように頭が良くないもの』 このとき、だれともなく既に博士は博士と呼ばれていた。 その博士は、あははと笑って。 『恋愛感情だよ』 『ふぇ?』 なんのこっちゃ、と首をかしげる玲菜。もしかしたら、このとき博士も酔っていたのかもしれない。 すでに、空けられた一升瓶の日本酒を横目に、絶対そうだと玲菜は確信した。 『恋愛感情…?それって、恋するとか付き合うとか、そういうの?』 『そうそう、その恋愛感情。一人の相手のことで笑ったり怒ったり、今の玲菜さんみたいに自棄になったり』 『んんっ?喧嘩売ってる、もしかして喧嘩売ってるのかな?』 『怖いし、お酒くさいよ、玲菜さん』 『博士もでしょー、で、どうしてそれが一番難しいの?いちばん簡単じゃない。好きな人がいて、その人のことで頭がいっぱいで幸せだったり不幸だったりするのは、普通でしょ、てか恋愛って言うより気持ちなんてどれもこれも、理解できるもんじゃないと思うわ』 『そうかな?――そうかもしれないね』 曖昧に笑う博士。こまったような、それでいてどこか玲菜を羨ましそうに見る。 なるほど、と玲菜は思った。 玲菜にとって恋とは、自分の生活の一部で、それは毎朝歯磨きをするのと同じくらい、あたりまえのことなのだ。 恋をしなければ生きていけない、わけじゃなくて。 でも、恋をしなければなんだか落ち着かない。そういったものなのである。 博士はおそらく、恋という感情を理屈に収めようとしているのだ。 誰だってそんなもの不明瞭で、曖昧なものだとわかっているし、そもそも理屈で理解できるものならば玲菜はこうして振られることなんて無いだろう。だから、そういうものはそのままでいいのだと思っている。 それを博士は、数学の公式みたいにはまらないといい、そのことが不思議で仕方ないのだ。 なるほど、面白い。 くすくす笑いをかみ締めて、玲菜は博士の方をみる。 博士は、いまだいかに恋が不理解で難解かの話を続けていた。 『そうねぇ、博士』 苦笑気味に、玲菜は博士の弁を止めると。 『博士が、恋をしたらきっと分かるんじゃないかしら』 そう言った玲菜に、博士は一際大きなため息をついて 『それができたら、こんなに悩んでないよ。まったく、自分の気持ちなのに自分の思い通りにならないなんて、不可解もいいところだよ』 と、ぼやいた。 以来、彼女との付き合いは6年経った今でもつづいている。 第二節 終 |