あんたなんて、大嫌い!!



20.歪んだ三角





 思えば、なんだかずいぶん前のように感じる。
 視聴覚教室の、その準備室のドアの前で立ち止まるあたしは、ほんの数十分前、つまり一限開始の頃を思い出し、ため息をついた。
 あの時、文生に呼び出されるまで、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。

 すでに2限目が始まっているので、辺りは静まり返っている。
 2限目ですらサボってしまった…という少しばかりの心の痛みがないわけでもないが、それよりも、このわけの分からない出来事をどうにかしたいほうが今のあたしには重要で…


 ―――そう、だから、あたしはこのドアを開けるしかないのだ。


 自分に言い聞かせるように、あたしは準備室の扉を開けた。





 明かりのつけていない準備室は薄暗かった。
 あたしが開けた扉から漏れた光でようやく闇が薄闇に変えられていく。
 その奥に、パイプ椅子に腰かけたみの虫の姿がある。

「やっぱり来たのか」
 
 ため息をついた。そんなみの虫の態度にカチンときて、

「あったり前でしょう!なによ、人を呼びつけておいて、そんなに厭なら、こんなことしなければいいでしょ」

「お前が納得できないって言ったんだろ」

「さっきでも、どこでも話せばいいじゃない」

「話したくねーから、呼んだんだよ」

 みの虫が不機嫌そうに応える。保健室で見た最後の表情とおなじ、眉間にしわを寄せた顔で。

「話したくないって、どういうことよ」

「言っただろ、『見せる』って」

 心底厭そうに言うみの虫に、あたしは辺りを見渡した。
 特に何もない。数十分前と変わらない、整理されていない、いつもの準備室である。

「…で、何を見ればいいの?」

 見回しても、こうして準備室に来ても何も分からない。
 だからあたしはみの虫に聞いた。
 みの虫は大きなため息をついてあたしを睨んだ。

 いや、睨んだのはあたしじゃない。睨んだのは、その奥…

「犯人だよ、あんたの後ろにいる、手紙を出した犯人だ」

「へっ?」

 間抜けな声を出してあたしは訳も分からず、ただ振り向いた。






















「意外だよ、お前がみのりまで連れてくるなんて」

「…連れてきたくて連れてきたわけじゃない」




 あたしの背後の声の主は、面白そうにみの虫に語りかけ、みの虫はうんざりするようにそれに返す。
 声を、背後の主をあたしは知っている。

「ふ、文生?」
 
 問いかけに、背後にいたあたしの友人はいつもの笑顔で応えた。

「そう、私だよみのり。そこの変態は、とりあえず当たりを引いたということさ」





「ど、どういうことよっ!?」

 頭がパニックになっている。
 何がどうして、どうなれば、あの脅迫の手紙の主が文生になってしまうのか。

 あたしは、どちらに問いかければいいのか分からないこの問いを、とにかく全力で叫んだ。
 それに相槌をうってくれたのは、文生のほうだった。

「そうだね、まあどの辺りで気づいたのか教えて欲しいな」

 そして、あたしと文生の視線がみの虫に移る。
 その視線に耐えかねた…というわけではないだろうが、何かを諦めるように、大きな息を吐くと、みの虫は淡々と言った。

「簡単なことだろ、要するにあの手紙だ」

「手紙…?だって、あんた手紙の内容なんてちっとも…」

「内容はどうでもいいんだよ、要はあの作り方だ」

「作りかた…?」

 そう言われて、あたしはもう一度あの手紙を思い出す。
 ピンクのかわいらしいどこにでもある便箋。
 中の文面は『久賀達江は男だ』という簡単な文脈を、恐ろしく古典的な、雑誌などの記事の文章を刻んで糊付けするという方法。

「糊付け、だよ。俺達が手紙を見たとき、あの便箋に糊付けされた糊がまだ乾いてなかった。てことはだ、ついさっき誰かが作ったものってことだ」

 なるほど。だからあの時、みの虫は中身の文章ではなく手紙そのものを触ったりなでたりしていたのか。
 …でもそれでだけじゃあ、文生が犯人と確定するには甘すぎるような。

 あたしの納得のいかない表情を見て取ったのだろう、みの虫はパイプ椅子から立ち上がり、準備室の隅に歩き出す。

「なんで糊が生乾きだったか。つまり、急いでたってことだ。脅迫文を急いで書きたかった、けど自分の手筆では知った相手にはばれる、パソコンは教師の許可なく自由に使えない、だから、記事の切り抜きなんて古典的な真似をした。でも急いでいた、てことはだ、手紙を作った犯人は急場で作ったわけだ」

 準備室の隅に行き、隅にあったゴミ箱をつかみ上げると、みの虫はそのゴミ箱を逆さまにした。

 ばさばさと落ちる紙くず。その中には、文字を切り抜かれた雑誌。

「みのりにも言ったが、最期に動機だ。ここに俺がいて不満のある人物。あんたしかいないだろ」

「おみごと、と、とりあえず言っておくよ。わざわざこれを探るのを知られたくなくて、みのりを怒らせてまで追い払った君に、一応同情してね」

「大きなお世話だ」

 怒りをそのままに、みの虫はゴミ箱を文生の足元に投げつけた。

(なんだ…そうだったんだ)

 みの虫は、あたしを本気で疑っていたわけじゃなったのだ。
 そう思うと、なんだか今までくすぶっていた胸のつかえが馬鹿みたいにすっとした。
 だけど、分からないことがまだある。

「なんで、教えてくれなかったのよ、あたしだって本気で犯人捜そうとしてたのよ。なのにどうしてあたしに隠して勝手に終わらせようとしてたのよ」

 問いかけたあたしに、今度こそみの虫は黙ってしまった。こういうときのこいつは本当にだんまりである。
 すると、背後で文生が面白そうに「ほうら」と発する声が聞こえた。

「そうやって、中途半端にするからお前は駄目なんだ。ここまで来たら言うのがフェアってもんだろう?」

「うるさい、黙れ」

「黙れだって?私が黙って、それでお前はどうするつもり?うだうだと、そうやってみのりを悩ませるのはやめなさい。みのり、こいつはねぇ…」

 いきなりあたしの肩を引き寄せて、楽しそうに語ろうとする文生。

「やめろっ」

「最初から、私が犯人だと気づいていたのさ」


 え…?


 あたしはますます訳が分からなくなった。犯人が文生だとみの虫が最初から気づいていた?どういうことなのだ。

「この変態は私が犯人だと疑っていたんだ。なのにどうして最初に問わなかったか?つまり、みのりに問いただすところを見られたくなかったからだ」

「ど、どうして?だって、二人はあの時初めて会って…」

 そうだ、初対面の人間を前に、いきなり脅迫文の相手だなんて分りようもない。

「さて、ここで問題。どうして私はこの変態男の失踪話を知っていたか?」

「あっ」

 そういえば、初めに文生がいっていた失踪の話。みの虫には別人だと話をはぐらかしていたけれど、もしそれが本当の話なら。

「もう一つ、『失踪』なんて言葉はね、失踪した相手の素性を知らないと、なかなか言えない言葉ってこと」

 そうして、文生はあたしの肩を解放すると、愉快そうに口角を上げ、みの虫を見た。

「どうして私は君の失踪を知っているのかな、ねぇ、私の『婚約者』殿?」

「お前に『婚約者』なんて呼ばれるくらいなら『変態』のほうがましだ」

 歯噛みしながら文生を睨みつけるみの虫に、はき捨てるように文生も「同じくだね」と、言った。



 ………て言うか、



「ええええええっーーー!?こ、婚約者―――っ!!?」


 あたしは二人を交互に指差し、あっけに取られながら叫んだ。
 そのあたしの言葉に、先に応えたのはみの虫だった。

「勘違いすんなよ、『婚約者』なんてなぁ、俺の親とあいつの親が勝手に決めたもんで、俺にはぜんぜん関係ないんだからな」

「そうそう、だからこんな男が行方不明になったからって、わざわざ連絡くれなくてもぜんぜん構わないのにねぇ。お陰でこっちは君の捜索で面倒に巻き込まれていい迷惑だよ」

「いや、でもその。なんといいますか」

 本当になんて言ったらいいんだ。

 確かに、この学校はあたしを例外にみんなお嬢様だってことは知っていた。
 だから例に漏れず文生だって、なんとなくお嬢様だってことは知ってはいたし、みの虫だって父の言葉を信じればお金持ちの次男坊だと聞いてはいたけど、だけどまさか、こんなどこかの少女漫画にしかなさそうな名前を、人生で二度も聞くなんてだれが思うだろうか。

 あたしは今の自分の立ち位置の気まずさに、なんとも言えないものを感じていた。
 親友の婚約者(しかもこっちは本当に両家で決めている)が、父親が浚ってきた父称(なんて言葉があるのかは知らないが)「婚約者」のみの虫。
 その上、あまりに強引な理由ではあるが、その男と暮らしているあたし。


 …なんて、気まずい。っていうか、これもしかして、あたし間男的ポジション?


 くらり、と思わず眩暈がしそうだったが、そのあたしをむんずとひっつかまえたのはみの虫だった。


「だ・か・ら。勘違いすんなって。そもそも、俺がこいつとの関係が良好ならな、なんで俺が始めにこいつを疑うんだ」

「そう、つまり私が言いたかったのは、それ。そこの変態は自分のことを、私が疎ましいと思っていたのを知っていたってこと。だから疑った。そして、みのりにその秘密をばらされたくなかったから、内緒で終わらせようとしたのさ、まったくつくづく馬鹿な男だね」

「はあ…」

 曖昧にしかうなずけなかった。が、今度はみの虫の腕から引き剥がされ、文生があたしをギュウと抱きしめた。

「ごめんね、みのり。私がもっとうまくこの変態をだれにも知られず地中まで沈めてやれればよかったのに、こんな嫌がらせレベルのことしか出来なくて」

「…やっぱ嫌がらせだったのか」

「嫌がらせだったのね…」

 同時にため息をつくみの虫とあたし。

「だけど、今回の勝負は私の完敗のようだから、とりあえずは引き下がるよ、ああ、すごくくびり殺してやりたいけどね」

 そうして、あたしを手放した文生はいつもの笑顔で、あたしと、みの虫を見た。

「まあ、そんなわけで、ここでのことは見逃してやるよ。おめでとう、第一レベルクリアというところか?いや、健康診断が済んだのなら第二まではクリアか。ともかく、お前は私のライバル兼同級生という地位を見事に手に入れたのだからね」

 あえて『婚約者』という地位は省いているのだろう。なぜか見えるはずのない火花が、みの虫と文生の間にうっすらと感じるのは気のせいだろうか。

「これから、短い付き合いだと思うがよろしくな」

「ああ、よろしくな、赤の他人さん」


 そう言って、茫然としたあたしとみの虫を置いて準備室を出る文生。


 こうして、あたしのみの虫との学園最初の事件は終わった。


 けどなぜだろう。


「ぜんっぜん、問題が片付いた気がしないのはどうしてなのかしら」

「奇遇だな、俺もだ…」




 事件は終わった、けれど

 そこには、ただただ頭を抱えるしかないあたし達がいた。








2章了(10.02.20)




 →そして幕間



戻る

小説の小部屋に戻る