あんたなんて、大嫌い!!



18.必要のない理由







 健康診断、けんこうしんだん、ケンコウシンダン…。

 いや、どう言い換えたところで健康診断の意味が変わる訳が無い。

 つまるところ、体に悪いところが無いかとか、思春期な私達の成長を計るとかそんな理由の行事であって、 それ以外の何者でもなく……


(いやいやいや、もうあたしは知らない、どうなったところで知るもんですか)


 念仏のように、あたしはセーラーのホックを外しながら、何度も唱えて、それでもどうしようもない焦燥に駆られていた。


(関係ない、関係ない、そもそも私があの変態に協力しなくちゃならない原因なんて・・・)


 そうだ、ない。


 最初から、もうずっと最初から、あたしがあの男に協力する理由なんてあるわけ無いのだ。


(ないはず、なのに・・・)


 心が勝手にザワついてしかたない、セーラーのホックを外す手が、さっきからちっとも動いていないのにも気づいている。

 
 なにより―――


「右手、痛い…」


 あいつの顔を殴った右手がずっと、痛い。



―――ああもう、くそっ。



 心の中で舌打ちをし、あたしは臥せっていた顔を勢いよく上げて、


「先生、私、体調が優れないので…って、あれ」


 葛藤を繰り返している間がどれくらいだったのか、我に返って当たりを見渡せば、そこはがらんどうの教室だった。


「えぇ?みんなもう行っちゃったの?そんな、一言くらい言ってくれればいいのに…」

「いいえ、私が皆さんに先に行くよう指示しただけですから、他の生徒達を恨んではいけないわ」


 勢い込んだあたしの体を優しく叩いたのは、英語の教諭だった。


「せん…せぇ?」


 振り向いたあたしの目の前に、控えめな口紅を引いた唇が上がってゆく。
 そして、健康診断を告げる前の先生の言葉がよみがえる。


『残念だけれど、そのほうが都合がいいかもしれないわね』


 あの言葉の真意は、まさか…。


「ずっと、気になっていたの」

「うっ!?」


 思考を読み取ったような先生の言葉に、あたしは、近づいた先生に一歩後じさる。


「な、な、なにが気になったのでしょうか?あ、あははは…」


 ごまかすような愛想笑いを浮かべるあたしの頬にはいやな汗が流れる。


 やたらと引っかかる物言いに何かを感じてはいたけれど、これで間違いなく、疑いようもなく、決定した。


(先生はみの虫の正体を知っている…、いや、気になっていると言うことは、疑っている?
…そうだとすれば、あの手紙は、先生?いやでも、それには…)


 そんなあたしの内心を知ってか知らずか、先生は後じさった一歩を詰めるためにあたしの方に前に詰め寄る。


「だから、ちゃんとお話ししたかったのだけれど、あなたたち、ずっと一緒に行動しているものだから、こうして話し合う機会をずっとうかがっていたのよ」

 
詰め寄る先生にあたしは生唾を飲み込む。


「あ、あなたたちって、誰のことでしょうか?心当たりが…」


 ここが正念場だ、なんとかうまくやり過ごさねば、みの虫もろともあたしも一緒に変態のレッテルを貼られてしまうかもしれない。

 そう思って、何とかすっとぼけようとするあたし。


「やあね、あなたと久賀さんのことよ、今朝も一緒に教室を抜け出ているのを他の生徒から聞いているわよ」

 …まあ、悪あがきだってのは、わかってましたよ。
 というわけで次の逃げ道を考えてみる。

「えー、それはよく分かりました、でも、その、なんであたしの方なのでしょうか、話なら、あたしじゃなくて、み…あ、いや、久賀さんのほう…」


 そうして必死で考えて出た言葉は、…結局のところ責任転嫁だった。

 しかし、その言葉に対する先生の表情は、なんとも不思議そうに小首をかしげただけだった。


「あら、決まっているでしょう?あなたの方がずっと魅力的だもの。私、ああいうタイプは好みじゃないの」



 ………ん?



 あれ、いま何か返答がおかしい気がしたよーな。

 あたしは、一歩詰め寄った先生に、さっきとは違う意味で後じさる。


「え、えと、先生?あの、気になっていたのは久賀さんのほうなんじゃ」


 呆けた顔でつぶやいたあたしの顔を困ったように先生は見詰めた。


「通じてなかったのかしら?そうね、もっと率直な言葉の方があなたにはわかりやすいのかもしれないわね」

「え、ええと?」


 先生の瞳が一歩近づく、あたしはまだ、呆けたようにその目を見詰めている。


「あれ、気のせいでしょうか、この雰囲気。なんだかとってもおかしい気がするんですが。えと、先生はアレですよね、さっき、久賀さんのことを気にかけていたような、あの言葉はナンダッタノカナア、ナンテ」


 なぜかカタコトのあたしの言葉は、動転っぷりを思いっきり露呈してしまっていて、それをみて、クスリと笑う 女教師の笑みはとても、とても、笑い事のような気がしないのは…思いっきり気のせいだと誰かに言って欲しい。


「久賀さん?ええもちろん気にかかっていたわ、だってあなた、久賀さんが来てからというもの、ずっと久賀さんにべったりですもの」

「そんなっ、それには、海底より深い理由がっ」

「そう、その、理由」


 先生は細い指で薄い口紅をなでて、微笑む。
 微笑んだ先生の姿は、シンとした教室で、とても妖しく見えた。


「どんなものかしら、とても気になるわ」

 微笑んだ口元とは裏腹に眼鏡の奥の瞳の色が分からない。

「あ、あはは、理由なんて、大したことじゃ…」


 ああ、やっぱりそう、この人は。


「久賀さんの理由があなたにどんな関係があるのかしら?」


 この人はみの虫を気にしている。


「先生…」

「ええ、なあに、上杉さん」


 迷いのある思考を一まとめにしようと、軽い深呼吸のつもりで息を吸い、先生の眼鏡の奥を覗き込むような形で見返した。


「先生、あなたは…」


 ドバンッ!!


「な、な、なに!?」


 あたしが言葉を発するのとまさに同じタイミングで、教室の扉が開いた。


「あの…、遅れてすみません。あら、先生、みのりさん。お二人だけしかいらっしゃらないの?」

「いっ!?く、久賀た…っ、あ、いや、久賀さん!?」


 わざとらしくも感じるような教室の扉の音に振り返れば、そこにゼッタイ現れるはずが無い奴の姿が見えた。


「あ、あんた、なにしてんの!?帰ったんじゃなかったの?」

「ま、みのりさんたら、ひどい。少し体調が悪いくらいで帰りませんわ」


 …変わらず、こいつの口調に慣れない。いや、慣れたくもないけど。


「あら、久賀さん?皆さんなら、健康診断に行ったわよ、あなたもお行きなった方がいいわ」


 あたしに顔を寄せていた先生はみの虫に振り返ると、少しだけ温度の下がった声を出した。そして、それを、みの虫が受け取るように目を僅かに鋭くさせる。が…



 なぜあたしをみて微笑む。



 角度を変えて、あたしのほうを向いて微笑んだみの虫はスタスタとこちらにやって来て、あたしの手を取ると、再び先生を見て


「ええ、2人で行ってきます」


 そう言って、呆けたあたしを引きずるように、みの虫はその教室を出て行った。









 引きづられて、引きずられて、引きづられて…って。


「いたたたっ、ちょ、ちょっと待って、どこ行くのよ」


 ようやく我に返ってみの虫に抗議をするため、首を上げて睨み付けると、そこには私より不機嫌そうな奴の顔。


「ねえ、ちょっと、本当にどこ行くのよ!待ちなさいよ、それどころじゃないの、さっきの英語の先生、あの人が手紙の差出人かもしれないのよ!って、ちょっと聞いてるの!?」


 廊下をスタスタと歩いているため大きな声では言うことが出来なかったが、きちんと伝わったはずのあたしの重大な話に、みの虫の反応はなんとも簡単だった。


「それは、ない」


 即答だよ、ちょっとは考えろ。


「なんでよ、だって、あんたのこと疑うようなそぶりだったわよ!」

「誰が怪しかろうが、そんなのは関係ないんだ」

「どういう、意味?」


 まるで、犯人なんてどうでもいいような、そんな言い方に聞こえて、あたしはさらに語気を荒くした。


「ねえ、どういう意味なの!?いっとくけど、あたしはまだ怒ってるんだからね、人のこと犯人扱いした上に、今度は誰が犯人だろうが関係ない!?いい加減にしてっ!納得のいかないことばっかで誤魔化さないでよ!」

「おい…っ」


 いきなり、声を荒げたあたしを見て、通り過ぎる教室から授業を中断してのぞきに来ないかと心配するみの虫。そんなこと、あたしの知ったことじゃない。


 本当は先生に問い詰められたあの時、怖かった。

 なんだか、知らない世界に迷い込んだみたいで、凄く怖かったのだ。

 だから、あのときみの虫が来てくれて、ほっとしたのに、なのにこいつと来たら、またあたしを訳の分からないところに放り出そうとする。

 つないだ手をそのままに、あたしは棒きれのように、何が何でも動くまいとした。


「教えてくれるまで、動かないわよ」


 睨み付けるあたし、それを困ったように見詰めるみの虫。


「分かった、理由を見せてやるから、動いてくれ」



 勝ったのはあたしだった。



「どこへ行くのよ」


 引かれたままの手に、あたしは問う。
 すると、みの虫は少し考えた風に眉根を寄せると、にやりとした笑みをこちらに向けた。


「保健室、行くっていったろ?」

「へっ?」


 あまりの事に、間抜けな声がでる。
 その顔が面白かったのか、実にうれしそうなみの虫の声。


「だって、今日は健康診断、だもんな」


 信じられない言葉を聞いて、驚いたあたしの体をまたしても引きずって行くみの虫。


「え、ちょっ、と、ていうか、ええっ?!ほ、本気?あんたそれ本気で言ってるの!?」

「だって、健康診断受けなきゃあ、怪しまれるだろ」

「…いや、あんたの場合行ったら、『怪しまれる』ぢゃなくて、ばっちりアウトだから言ってるんでしょ!」


 切羽詰ったあたしの言葉とは裏腹に、いかにものんきな声で「それもそうだなあ」と答えるみの虫。こ、こいつ…。


「ま、それはそれ、とにかく行くか」

「ええっ!?」

 

 混乱したままのあたしは…


 


 そのまま保健室まで連れて行かれるのであった。




 



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