10. 序曲 始まりの音





 翌朝。


 ジリリリリリリッ…


 目覚ましの音に、あたしは寝ぼけながら手探りで時計を探り出す。
 む、なかなか手が届かない…もちょっと右かな、いや左?
 枕にかじりついたままの体勢で腕をのばしてみるが、ちょっと離れているらしく、目覚ましはやかましくなり続けた。


 ジリリリリリリッ…


 ああ、うるさいっ!分かったって、起きる、起きればいいんでしょ。
 ガバッ、布団を上げて眠い目をこすりながらあたしは目覚ましに手をかけた


 ジリリリリリリッ… ガタッ。


「ん?今、何か音がした」

 うるさく鳴り響く目覚ましを切り。寝ぼけた頭で、あたしは耳をすました。


 ………ッ、ガタッガタッ。


「…なに?お父さ…ん?帰ってきたの??」

 物音は確実に、した。

 昨日のあの後。
 みの虫が去った後、父も外に出かけてしまった。
 まあ、父がふらっと出かけるのはいつものことなんだけど、問題はこの物音。父ならばいいけど…。

「お父さん?いつも言うけど、人として朝っぱらから暴れるのはどうかと思うわよ…」

 部屋からは出ずに言う。…返事はなし、か。
 父の地獄耳ならこの程度の声を聞き漏らすわけが無いし…これは本格的にやばいかも。

 あたしは、慎重に自分の部屋の扉を開ける。 
 この家のつくりは、ごく普通の二階建ての一軒家。
 一階はリビングと客間で、二階にはあたしと父の部屋、それに物置部屋があるだけ。

 部屋のドアを開けて耳を澄ます。物音はまだ続いている。

 と、…あれ?

「……もしかして、お父さんの部屋から聞こえてる?」

 また父が面白いことをやらかしてるのか。
 あたしはさっきまでの自分の緊張感を抜くために、ため息をつくと、父の部屋に入って

「お父さん、あのね、そう言う人騒がせなこと、やめな…」


 ――まず、最初に何も無い、と思った。
 しかし、その次に、ソレとばっちり目があった。
 そして第一声。

「み、みの虫…」

「ふごーーーっ!!」

 目の前で猿ぐつわごしに喚くみの虫、だって初めて会ったときと、まんま同じみの虫の格好なんだもん…てちょっと待て。

「なんであんたがそんな所で転がってるのよ!?」

「ふぐっ、ふごごごーーっ!!」

 だめだ、猿ぐつわ越しじゃ話にならん。
 あたしは、とりあえずみの虫から猿ぐつわを取り外してやる。
 と、みの虫の頭もとに二通の手紙を見つけた。

「ん?なにこれ?」

 みの虫と、手紙?
 この組み合わせ、何かすごく嫌な予感が…

「あんの、くそじじいっ!!今度こそゆるさね――ッ!!」

 手紙とにらみ合っていたあたしに、みの虫の怒声が突き抜ける。

「おい、みのりっ!早くこのロープ解け!」

 そう言って、未だみの虫の格好のみの虫(ややこしい)が、唸り声を上げる。
 しかしあたしは、その命令口調の言い方にカチンときた。

「ちょっと久賀達也。それが人に頼みごとする態度なの」

 睨みつけるあたしに、みの虫は口を端を上げ(寝転んだまま)

「はっ、人を虫呼ばわりする奴に言われたくねーな」

「あなたのその格好みて、ほかに何言えって言うのよ」

「………」

 思わず言葉に詰まるみの虫。ふっ、勝った。
 でも、勝ってどーする、意味無いよ、これ。
 少しだけ溜飲が下がったあたしは、みの虫のロープを外した。

「…ったく、初めからそうしろよ」

「あんたがもう少し、しおらしい人間なら、そうしたかもね」

「お互い様だろ」

 「ふんっ」と鼻を鳴らすと、みの虫も手紙の存在に気づいた。

「何だコレ?」

「さぁ、あんたの頭のあたりに落ちてたわよ、知らないの?」

「知らね、だいたい、あの状態で頭上に何かあるなんて分かるか」

「…まぁ、それもそうよね」

 妙に納得したあたし。
 うなずくあたしに、みの虫は手紙の一つを渡してきた。

「なに?」

「お前あてだよ、あて名はお前の親父」

「えっ?」

 慌てて手紙を見る。ほんとだ、あたしの名前と父の名前が書いてある。

「もう一つは、どうやら俺宛てみたいだな」

 みの虫はそう言うと、父の部屋の机からペーパーナイフを持ち出してきた。
 て、おいおいおい…

「ちょっと、あんたっ、なんで普通にお父さんの部屋のモノ使ってるのよっ!」

「あ?いいだろ、それくらい。けちけちすんなよ」

「んな意味じゃない!!この異常な状況で普通すぎるっていってんの!そもそも、あんた何でここにいるのよ!?」

 その一言で、みの虫の動きが止まる。

「何でだと?俺が好きであんな格好で転がされていたと思うか?」

どす黒いオーラが見えるくらい、陰鬱な表情でこちらに詰め寄るみの虫。

「趣味なのかな…とか」

「なわけあるかっ!どこまで変態なんだ、お前の中の俺は!きまってんだろ、お前の親父に性懲りもなく、やられたんだよっ」

「あ、やっぱり?」

 十中八九、ていうより、100パーセント予想通り。
 やはり父の仕業だったのね、と心の中でぼやくあたし。とすれば…

「これ、じゃあ何が書いてあるんだろ」

 あたしは、すこぶる嫌な予感のする手紙を見つめる。

「ろくなもんじゃねーだろ…きっとな」

 ううっ、なんだか見たくなくなってきた。
 手紙とにらめっこで、開封するのをためらう私に、みの虫はイラついたように

「いつまで封筒眺めてんだよ、貸せっ、おれが開けてやる」

「えっ、ちょ、ちょっと」

 私から手紙を分捕るみの虫。そして、ビリビリと封筒を開け

「あのねぇ、人の手紙を勝手に見るんじゃないっ!」

 人の話なんて聞きやしない。
 みの虫は、取り上げようとするあたしの腕をすり抜け、無造作に手紙をだして、それを見た。

 そして、手紙を開けて十数秒。

「……あ?」

「え、なに、何が書いてんのよ…ぶっ」

 覗き込もうとするあたしの顔にその手紙を押し付け、今度は自分宛のを開いていた。
 な、なんつー自分勝手な奴!
 みの虫の身勝手な行動に歯噛みしながら、あたしは押し付けられた手紙を読んだ。

「えーと、拝啓 みのり、この手紙を読む頃、父さんは…えっ?」

 あたしは、書かれていた内容に呆然とした。


『拝啓、みのり。

 この手紙をみのりが読む頃、父さんはもうそこにはいないだろう。
 実は父さん、このたび長期出張することになった。
 もちろん、父さん最初は断ったんだが、父さんの上司がとんでもない横暴上司でな
 今日にでも行かなければ、クビだというんだ。
 だから、突然で悪いが、みのり、父さん半年ほど帰ってこれそうにない。

もちろん、みのりを一人にしておくのも、父さん心配で心配で心配…(以下エンドレス)

 そこで、だ。
 父さんは、みのりの為に、ボディガードを置いていく事にした。
 そう、そこにいる、達也くんだ。
 彼は、父さんには敵わないけど、優秀なので安心して毎日を過ごして欲しい。
 
 おおっと、そろそろ時間だ。
 それじゃあ、みのり。
父さんが帰ってくるまで、『婚約者』の達也くんと喧嘩せずに仲良くやるんだよ。
 
 敬具』
 
 目を通して数十秒。
 理解をするのに数分。

 そして…

「な…っ!!」


 なんだってーーーっ!!?

 なんだ、このボディガードって、『婚約者』って誰のことよ!?


「俺のことだろ」

 そう言って、割って入ったのは奴の声。
 いつの間にやら声に出していた、私の叫びに律儀に返してきた。

「あんたね、そんな他人ごとみたいに…って、わーっ!!な、何してんのよ」

 シュボッ、というライターの音とともに、みの虫の手紙が、炎上していた。
 あたしは、慌てて燃えている手紙の消火をしようと、手ではたこうとすると、みの虫にその手をつかまれる。
 そうして、あたしを押さえつけたまま、みの虫は父の机の灰皿に手紙を放った。
 父からみの虫への手紙は、見事に灰皿の上で消し炭となる。

「ねえ、あんたのところには何が書いてあったのよ」

「…………」

 答えない、みの虫。
 彼は無言のまま、携帯をズボンから取り出し

「あ、もしもし…」

 電話をしていた。
 って、そんなことはどうでもいいけど。
 …こいつ、いつまで人を掴んでる気だっ。

 文句を言いたいのに、電話中に大声を出すのも礼儀としてどうかと思うので、あたしは彼とつないでいる手を振りまわして、主張をした。
 すると、こいつは何を考えてか、眉をひそめて視線だけこちらに合わせると、同じく振り返して来た。

 …って、なんだそりゃ!?

 首を激しく振りながら、口パクで叫ぶあたしの声がようやく届いたのか。
 ようやく、あたしの手は開放された。

「…はい、やっぱりそうですか。どうもありがとうございました」

 みの虫の電話が終わった。
 ピッ、電話の電源が切れると同時にあたしを見たみの虫。

「なに、遊んでたんだ?」

「だあっ!遊んでるわけ無いでしょ!」

 やっぱり、通じてたわけじゃなかったのね。
 なんだか、ものすごく脱力するあたし。

「も、いいわよ、それより何処に電話してたの?」

「大家のとこ、俺のマンション、昨日のうちに引き払われてるってさ」

「あ、そうなの」

 ああ、こいつって一人暮らししてるのね、と変なところで感心しながら、相槌をうつあたし。

 ん?それってどういうことだ??

「つーわけで、俺、今日からここに住み込みらしーから、飯とか頼むな」

 な…っっ!!!?

「なんでそうなるのよーーっ!?」

 みの虫の胸倉を揺さぶりながら、問詰めるあたし。

「んなこと言っても、家がないんだから仕方ねーだろ」

「実家に帰りなさいよ、実家に!」

「……あんな家に帰るくらいなら、ここに住むほうが100倍ましだ」

「あたしが嫌なのよ!」

 あたしのこの言葉に、みの虫が目を細めた。
 そして、ぬけぬけと

「なんで?」

 と聞きやがった。

「な、なんでって…、だって、いくらお父さんがあんたのことボディガードなんて言っても、一応あんたと私は…その、男と女なわけだし」

 何言わせんだ、こいつわーーーっ!!
 うわっ、自分でも分かるくらい、いま滅茶苦茶真っ赤になってる、あたし。
 そんなあたしの頬に、ひんやりとした物が触れた。
 みの虫の、手のひらだ。

「ちょっ!」

 言った傍から何を…、慌てたあたしの顔は、更に真っ赤になる。こうなると、みの虫の冷たい手が気持ちいいくらいだ。

「ぷっ、はははっ、何だそのおもしれー顔はっ!」

 よっぽど、あたしの顔が変な顔をしてたのか、みの虫はあたしの顔から手を離すと、大爆笑をした。
 ひー、ひー笑いながら、みの虫はあたしの肩にポンと手をのせ。

「安心しろ、何があったって、お前になんか欲情しねーから」

「さわやかそーに、下品な事をいうなっ!人がせっかくオブラートに包んで言ってるっていうのに!」

「いや、どう言っても意味は同じだろ。なんなら、賭けてもいーぜ」

「賭けるって、なにを?」

 すると、みの虫は自分の親指を己の胸につきつけ。



「俺の命」



 …えらく吹いたな、おい。
 あんまりにも大げさなみの虫の一言に、あたしは思わず苦笑した。


「それ、本気にするからね」

「ああ、かまわねーよ」


 見交わしあうあたし達。

 そのとき、ほんの少しだけ、ほんとにほんとの少しだけ
 「ま、いーか」と思ってしまった、あたし。



「手伝いなさいよ。あんたのベッド、まだ廊下にほったらかしなんだから」


 そう言ってしまった。

 あたしの言葉がよっぽど以外だったのか、目を丸くするみの虫。
 そんなみの虫に、肩をすくめてあたしは階段を下りた。



 婚約者とか、ボディガードなんて、とんでもない話。

 こんな事、普通じゃありえないと思う。

 きっと、後で後悔するかも知れない。

 やっぱり止めたっ言うかも知れない。

 だけど…

「おい、ほんとにいいのか?」

 みの虫があたしの背中にそう問いかける。
 あたしは、振り向きもせず

「いまさら何いってんだか。行くとこないんでしょ、なら居てもいーわよ。ただし…」

 あたしはみの虫のほうに振り返り、人差し指を突きつけると。

「あたしは、あんたのことなんて大嫌いだから、そこんとこは覚えててね」


 その言葉に鼻白むみの虫。

「お互い様だろ」

 そう言い返してきた。




 後悔したときは、そのときである。
 駄目になれば、追い出せばいい、別れればいい。

 それだけの話よね。




 そして、




「ほら、何してんの。さっさとこっち来て手伝ってよね」


 ――それが、あたしと、久賀達也の暮らしのはじまりなのであった。







― 第一章 了 ―













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