賭けの行方そのA 前編
8.
ピンポーン…
平日のお昼過ぎ、琴子はあるマンションのベルを鳴らした。
「あれぇ、おかしいなぁ。いないのかな」
もう一度チャイムを鳴らす琴子。
ここは、洋子と隆志が住んでいるマンションである。
洋子の旦那である隆志は、夜の仕事をしてるので、ほとんど昼間にしか、家にいないらしい。
ので、今日夜勤の琴子が、こうして尋ねに来ているのである。
チャイムを鳴らしても、人が出てくる気配は一向に感じられない。
チャイムが聞こえてないのかなと思った、琴子は。
ドンドンドンドンッ
「おーい、誰かいませんかーっ」
琴子が、おーいおーい…としばらくドアを叩いてると。
カツン…
誰かが後ろからやって来た――
9.
「三浦さん、315の加藤さんに点滴もっていってください」
「あ、はい」
清水主任の言葉に、返事を返して、点滴をさがす洋子。
実は今日、琴子が日勤だったのだが、洋子は『例の紙切れ』を琴子に任すため、代わったのである。
ふと…
隣で、「きゃあっv」という声が聞こえた。
その声に洋子はフッと、顔を上げると
その目の前に
「ちょっと、いい?」
入江直樹が、洋子を見つけてこっちに向かって、そう言ってきたのであった。
「い、入江先生っ!?」
思わず、声を荒げる洋子。その隣では同じ科の看護婦も驚いてこっちを見ている。
(ちょっと、洋子。あんた、いつの間に入江先生とっ…)
隣でささやく、同僚に
(わ、私だって心当たりなんて…)
とまどう、洋子に
「ここじゃなんだから」と言って入江は洋子を連れ出すのだった。
10.
病院の屋上。
いつも、ひと気がないので、内緒の話にはとっておきの場所である。
先日、琴子と洋子が話をしたように…
「あの…入江先生…?」
そんな場所に、入江と二人っきり。
お互い、結婚してるもの同士でも、このシチュエーションには、少々戸惑ってしまう。
すると、そんなことなど、まるで気にも留めていない、入江が
「これ…」と、そう言って一枚の紙切れを出す。
「あっ、これ…」
洋子がそれを見ると真っ赤になる、それは例の琴子に渡した、『離婚届』であった。
「悪いけど、見せてもらったよ。琴子にも、おおよその話は聞いてるんで」
(こ、琴子のバカッ、なんで入江先生に話したのぉ〜)
顔を真っ赤にして、入江からそれを受け取る洋子。
それを見て、入江がため息をつき
「悪いことは言わないから、琴子にこういうことを頼むのはやめといたほうがいいと思うよ、ロクなことしないから」
「…琴子が、入江先生に頼んだんですか?私にこれ渡して…って」
ぶすっと、洋子が入江に訪ねる。すると、入江は
「あいつが、こういうことで、俺に頼みごとはしないよ。これは俺が勝手に琴子のカバンから抜いてきたものだから」
そして、入江は、かすかに笑った。
「………」
そんな入江を見て、洋子に黒いものが広がった。
琴子の事をしっかり分かって心配している入江先生。
どうして、同じ結婚している、琴子とあたしはこんなにも違うんだろう…と
思わず、手にしている離婚届をもつ手に力が入る。そして…
「まあ、こういうことはやっぱり、本人たちで話し合うほうがいいだろうし」
それに気づかず、入江が言うと。
「もう…、遅いです」
「え?」
入江が、尋ねるように声を出す。どうやら、琴子は本当に入江には何も話してないようだ。
「琴子、今日、隆志に会いに行っちゃいましたから…」
軽いめまいを覚え、頭を抑える入江。洋子に聞こえない様に「あの馬鹿…」とつぶやくと
「…悪いけど、キミのうちの住所教えてくれるかな」
深く、ため息をついて尋ねる入江。
琴子を迎えに(むしろ引きずり戻そうと)行こうとしている入江に、ますますいらだたしい気持ちが出てくる。
「…入江先生は、琴子からあたしたちの話し聞いて、どう思いました?」
入江は、洋子に聞いた内容とは違う言葉が返ってきて、思わず「?」の顔をする。
「隆志は浮気をして…、あたしは、隆志が浮気したから、離婚しようとしてる…。どっちがひどいと思いますか」
「もしもこれが入江先生たちなら…」そう後から付けたし、入江を見る洋子。
入江はそれに眉をひそめると
「俺には関係のないことだから、例えられてもね…」
そう言って肩をすくめる。
「ずいぶん自信があるんですね、じゃあ、入江先生は絶対に浮気なんてしないんですか?」
そういうと、洋子はすっと入江の首に腕を回し
「たとえば、あたしとこんなことしても、琴子は入江先生のこと許せるのかしら…」
そう言って、入江の顔に唇を寄せた――。
11/2/2003