賭けの行方そのA 後編

 

 

11.

 

 

どのくらいたったろうか――

 

「…つまんないですね、入江先生。ちょっとくらい動揺してみてもいいんじゃないんですか」

そう言って洋子は、入江に身体を預けていた体を離す。

「本気じゃない、って分かってたからね」

そういって入江のほうも、洋子の体重で前かがみになっていた体制を上げた。

余裕すら見える入江に、洋子は頬を膨らますと。

「これでも半分くらいは本気だったんですけど、…一応、琴子の友達ですから」

そう言う洋子に思わずクスリと洋子に見えないように笑う入江。

琴子の友人は、これだから面白い。

いつもバカ騒ぎばかりしているのに、みんな芯の強い人間ばかりで、本当に琴子ことを想っているのだ。

 

「あ、先生なに笑ってるんですか」

見えないように笑っていたつもりが、知らないうちにばれていたらしい。

「あぁ、ごめん」苦笑しつつ謝る入江に、洋子はため息をつき

「やっぱり入江先生ずいぶん変わりましたね。知ってます?あたし入江先生と琴子の斗南高校の後輩なんですよ」

「へぇ」

入江は方眉を上げると、洋子のほうを見た。

「わたし、入江先生にラブレターも渡したことがあったり」

「知ってるよ」

さらりと言った入江の言葉に洋子は目が点になる。

1A組の沖野洋子さん、だったかな」

「そ、その通りです」

洋子の顔が紅潮していくのが分かる。

「うそ…、先生、覚えてたんですか?だって、あたし受け取ってもらえなかったし」

1度、その手の手紙でえらい目にあってからね、できるだけもらった人間は覚えるようにしたんだ」

誰に、えらい目に合わされたのか…

二人は暗黙の了解で苦笑しあった。

「知ってますよ」

今度は洋子が呟いた。

「ずっと、二人が一緒にいたところを見てましたから。だから、琴子と一緒に働くとき、かなり動揺しちゃいました」

そうして、ペロッと舌をだして、入江に微笑むと。

「悪ふざけして、ごめんなさい。わたし、琴子がうらやましかったんです」

「気にしてないよ」

 

そう言って、肩をすくめると。

 

「じゃ、あの馬鹿を迎えに行くとするか」

 

「そーですね、私も隆志の馬鹿に、うーんとお灸据えてやります」

 

 

カラカラと笑う洋子の言葉に、入江はピクリと反応した。

 

「隆志…?」

「え?」

 

まさか、名前を聞き返されるとは思っても見なかった洋子は、軽く首を傾げ「そうですよ」と答えた。

 

すると、入江は、端整な眉をひそめて、呟いた。

 

 

「隆志…、三浦隆志…もしかして、あいつか?」

 

 

 

12.

 

 

 

「どうぞ、何もなくて悪いけど」

「あ、どうも」

 

そういって、麦茶を受け取る琴子。

ドアとノックしていると、背後から隆志本人が現れ、部屋に入れてくれたのだ。

 

隆志は自分の分のお茶をテーブルに置くと、琴子の前に座る。

「で、琴子さんだっけ?昨日のことなら、俺と洋子の問題だからあんたに関係ないとおもうんだけど」

「関係なくはないでしょっ、あたしは洋子の友達だもの」

「俺たち夫婦の問題に友人だからって、しゃしゃり出てくるわけ?」

ぐっと、詰まる琴子。昨日の入江の忠告を思い出して、耳が痛かった。

そんな琴子には気づかず、隆志はため息をついて琴子にぼやく

「だいたい、俺が浮気したって洋子が言ってるだけで、あれ、まったくの誤解なんだから」

「そうなのっ!?」

思わず身を乗りだしてたずねる。

「そうそう…」

そういって、なぜか琴子の横に座りなおしてきた。

会話するのには、あまりに近すぎる距離に、思わず琴子は思わず引きながら

 

「あ、あの…」

もう少し、離れて…

 

そう言おうとしたのだが、それより先に隆志が

「琴子さんって、彼氏とかいる?」

「は?いない、っていうか…」

結婚してるわよ。そういい募ろうとするが、やはり途中でさえぎられ

「やっぱり。男のこと知らなそーだもん」

そう言って、琴子の肩に手をおく。

「ちょ、ちょっとっ!!」

非難の声をだす琴子に、意も介さず隆志はため息をついて

「あのさぁ、男って奥さんや恋人がいても、ちょっとした遊び相手?みたいなのものが欲しいもんなんだよね。」

「そんなこと、無いわよっ」

真横にある隆志の顔をねめつけて、琴子は怒鳴った。

間近でみると、なるほど隆志は夜の仕事――すなわちホストをしているだけあって、顔はかなりよかった。

たいがいの女は、この顔で迫られ、耳元で囁かれば、惚れてしまうのかもしれないが…

 

普段から入江の顔を見ている、琴子には全く通用しなかった。

 

「あなたは、洋子が大事じゃないの!?」

真横で怒鳴られて、耳が痛くなる隆志は、眉をひそめて、琴子から離れ、ロングに伸ばした髪をうっとうしそうに書き上げると。

「大事だよ。でもあいつ、いつもしっかりしろだの、もっとキチンとこれからの事考えてくれだの、そういうの、時々疲れるんだよ」

「そんなの…っ!!」

これが、旦那の奥さんに対する言葉なのだろうか。

許せない気持ちと、胸の奥でひそむ心にトゲが刺さった気がした。

(入江くんも、あたしといて疲れたりするのかな…)

大いにありそうで、琴子は一気に落ち込んだ。

「あれ、琴子さん?」

とつぜん、勢いのなくなった琴子の顔を、そっと覗き込む隆志。

「まいったな、琴子さんが、しょんぼりすること無いんだけど」

そう言って、また琴子の肩に手を置いた。

今度はごく自然に、琴子の肩に触れ、髪をなでた。

あまりにナチュラルな行動に、琴子の行動は一歩遅れた。

「えっ、ちょっと、な…っ」

 

バタンッ

 

琴子が我に返ったときは、すでに世界はひっくり返っていた。

「俺、弱いんだよね、こういうの。そんな『なぐさめてほしい』って顔されたら、慰めたくなるよ」

「だ、だれも、慰めてなんかっ」

あわあわ、ともがく琴子。

だが、いつの間にやら、押し倒された体は、手も足も押さえつけられて身動きが取れない。

「は、はな、離して…っ」

いくら力を入れても、隆志の腕は剥がれることは無い。

もがいて首を振る琴子の耳もとで隆志は

「琴子さんて、初めて?」

「な…っ!」

「大丈夫、俺、優しくするよ」

プツン。そう言って、琴子のブラウスのボタンを外す

「〜〜〜〜っ!!」

ブラウスがはだけ、露出する肌に琴子は羞恥のあまり顔を真っ赤にした。

そして、隆志が、その肌に触れた瞬間、いつもと、入江とは全くの別の人間の手にぞっとした。

入江のひんやりして、どこか熱のある指ではない手で、肌をなぞられ、鳥肌を立てる琴子。

 

―やだっ、やだっ!!

 

―入江くん、助けて、入江くーーんっ!!

 

 

こんなことなら、入江の忠告をちゃんと聞いていればよかった。

今更ながら、後悔する琴子。

どんなに反省したって、どんなに叫ぼうと、入江は来てはくれない、そう思った瞬間。

 

 

ガスンッ!!!!

 

 

「いっっってえっ!!」

と、いきなりもんどり打った隆志。

隆志からの戒めが解かれ、バッと起き上がる琴子。

なんとか逃れられ、今更ながら、どっと冷や汗が出るのが分かった。

 

「ってぇ!なにするんだ…っ、あ――っ」

突然、背後から何かで殴られ、その殴った相手に怒鳴り込もうとして…青くなった。

 

「…あなたこそ、人の友達に何してるの?」

 

静かな――。どこまでも、静かな声が室内に響いた。

 

「洋子…、あのね…」

 

琴子は、先ほどの出来事も忘れて、洋子を押しとどめようとした。

さっき、これで隆志を殴ったのだろうか、洋子の持っていた灰皿を冷や汗を流しながら見て、琴子は必死で洋子の強行を、なだめるようにした。

「洋子、とにかく落ち着いて…」

「琴子はだまっていて、これはあたし達の問題だから」

「……はい」

 

到底なだめるのは無理であった。

 

「あなた…。私、今回のことでつくづく分かったの」

「な、なにが?」

すでに、琴子が見た、最初の頃の余裕のある顔ではない。

青い顔をして、妻を見る彼は、どう見てもおびえる小動物であった。

「つくづく、私たちって、合わないみたい、ということよ!!」

そう言って、ずっと握り締めていたのか、しわくちゃの離婚届を隆志に投げつけた。

「!!!洋子っ!」

「って、ええっ!?洋子、それ、何でっ!?」

悲壮な声をあげる隆志と、自分が持っているはずの離婚届がいきなり現れて驚く琴子。

洋子は琴子の叫びはきっぱりと無視して

「私はもう書き終わっているわ、あとはあなたがサインするだけ」

 

「ち、違うんだっ、洋子!」

 

隆志は離婚届を投げ捨て、すがるように洋子の下に行く。

 

「か、彼女が誘ったんだよっ!彼女さ、彼氏が出来なくて淋しいって言うから。ほら、俺、優しいから、突き離せなくて…」

 

「そんなわけないじゃないっ!」と、いきなり隆志になすり付けられた言葉に、抗議の声を上げようとした琴子。

 

 

そんなとき―――。

 

 

 

「へぇ…」

 

 

聞きなれた、どこまでも聞きなれている声が自分の耳に届いた。

琴子は振り返った。

その後に続くように、他の二人も琴子と同じ方を見る。…ただし、洋子だけは半眼でそちらを振り向いただけだが。

 

聞きなれた声。いつも自分を満たしてくれる声。

…いいや、そんなものいちいち確認しなくても分かる。

 

琴子が、振り返った先にいたのは――

 

「入江くん!」

 

「よお」

 

琴子の呼び声に、実にあっさりと応える入江。

しかし、長年の勘と言うか、なんと言うか、入江が怒っていることは、たとえ表情に出ていなくても分かった。

 

「い、入江くん…あの」

「なに?」

 

絶対零度の声とはこのことだろうか。

 

「……なんでもないです」

 

凍りつくような入江の声音に、琴子は何もいえなかった。

 

入江は琴子に一瞥をくれ、はだけた琴子の肌を隠すように、自分の上着を放ると、隆志の方を向いて

 

「やあ、三浦さん。お久しぶりですね」

 

ニッコリと微笑んだ。

 

(こ、恐い、恐すぎる…)

おそらく、その笑みの裏がわかるのは琴子のみだろう。

青ざめる琴子とは逆に、隆志は、突然現れた乱入者にきょとんとすると

「へっ、あれ、もしかして琴子さんの彼氏?」

などと、のほほんと尋ねた、瞬間――

 

ヒュ…ッ   バキッ!

 

「ひっ!!!!」

 

そんな隆志の頬を掠めるように、入江が、隆志の背後の壁を蹴り上げた。そして

 

「まさか、俺のこと、もう忘れたんですか?」

 

腰砕けの隆志を屈んで見下ろす入江。はっきりいって、洒落にならないくらい恐い。

さすがに、この状況に洋子も顔を青くして、信じられないというような目で、入江を見ていた。

 

「入江くん、洋子の旦那さん、知ってるの?」

 

投げられた上着を羽織った琴子は、入江に尋ねた。

そんな琴子の言葉にはじかれるように、隆志は入江を見ると

「い…りえ?…って、もしかして『入江直樹』!!」

「やっと、気づいたのかよ」

つまらなさそうに呟く入江。ソレとは逆に、隆志の顔はまるで紙のように真っ白になる。

「ひいいっ!」隆志は叫んで、妻の洋子の足にすがりついた。

 

「……入江くん」

琴子は恐る恐る入江の名前を呼んだ。

「昔、神戸にいたときの患者だよ」

そう言って、ひたすら冷たく隆志を見下ろす入江。

 

「よ、洋子!なんで入江がこんなとこにいるんだよ!?」

洋子の足にすがりついたまま、入江を指差す隆志。

普段と全く違う、本気で恐れている。そんな隆志の様子に、洋子は首をかしげながら。

「なんで…って、琴子が入江先生の奥さんだからよ」

「げぇっ、琴子さんが入江の!?」

バッと、琴子のほうを見る。

琴子は、あまり意味もなく、エヘンと胸をはった。

そんな琴子を、入江は自分の後ろに押しやる。

入江を見て、顔の引きつる隆志は

 

「わ、悪かった、俺が悪かった、だから許してくれっ」

 

土下座でもしそうな勢いで、入江に平謝りする隆志。

異常なまでに、入江を恐れる隆志に、入江の背後にいた、琴子はつんつんと、入江服をひっぱって聞いてみる。

 

「入江くん、一体、洋子の旦那さんに何したの?」

 

そんな琴子の言葉に、入江は淡々と

 

「別に、ただ、神戸にいたときの主治医だっただけだよ。…まあ、くだらねーことするから、灸をすえてやったけど」

 

「…………」

 

一体どんな事をしたのやら。…それを詳しく聞くのは、なぜだか恐い気がした。

 

 

 

 

――なんだかなぁ。

 

 

今の入江と隆志のやり取りで、一気に毒気の抜けた洋子。

もちろん、今までのことを許したわけではない。

絶対に許せないし、忘れない。

 

しかし…

 

隆志のどうしようもないほどの性格も、入江におびえ、とことん情けない姿をさらしても

やっぱり見捨てられそうにない自分がいた。

 

しかたない…、そう、まさに仕方ない、そんな感じであった。

 

はぁ。と長いため息をついた洋子は、足元にあった離婚届を拾い上げると

 

ビリビリッ

 

「洋子っ!?」

 

ギョッとしたように洋子を見る琴子。

ヒラヒラと舞っていく離婚届は見る見るうちに床に散らばっていった。

 

「洋子…?」

すでに涙目にもなっていた隆志は、洋子を呆然と眺めた。

 

「なんだか、バカバカしくなっちゃった」

 

肩をすくめて、そう言う洋子。

そして、下でしゃがんでいた隆志の前に、先ほど持っていた灰皿を目の前にちらつかせ。

 

「今日のところは離婚は止めるけど、今度やったら絶対に許さないからね」

 

「は、はい…」

 

隆志はそう言うしかなかった。

 

 

なにが、どうなって、そうなったのか、琴子はさっぱり理解できずに、ボーゼンと洋子たちを見ていたら。

 

「おい、帰るぞ」

 

「入江くん?えっ、でも…っ」

 

「いいんだよ」

 

入江は、呆けている琴子の腕を掴むと、二人は、引きずるようにマンションを出たのだった。

 

 

それから、洋子は散々隆志を脅した後。

姿の見えなくなった琴子達を確認して

 

「ね、結局あんた入江先生に何されたの?」

 

「聞くな…頼むから、恐くて口にも出したくねー」

 

「…………」

 

 

どうやらこの一件で、洋子の入江への目が大きく変わる日になりそうだった。

 

 

13.

 

 

「…結局、私ってなんだったんだろ」

入江と琴子は歩いている途中、ため息をつきながら琴子はぼやいた。

「だから言っただろ、ろくでもねーから、止めとけって」

「だって…」

そう言って、いまだにぶつぶつ言っている琴子、それから自分で勝手に納得したのか

「でも、これで良かったのよね、洋子たち離婚せずにすんだし、そうソレに『雨降って地固まる』て言うもんね!」

ウンウンと一人うなずく琴子。何かに話をそらそうと必死な感じが窺える。

そんな琴子を、入江は半眼で見ると

 

「ところで」

 

ぎくぅ。

 

そんな琴子の心の声が聞こえたような気がした。

 

「たしか、おまえ『賭けに負けたら、何でも言う事聞く』とか言ってたよなぁ」

「え、いや、でも…」

「さっきのはどう見ても、『お前』が何とかしたとは、言わねーよな」

「うっ、それは…」

確かにその通りだ…けど。

 

琴子は隣に歩く入江の顔を見るのが恐かった。

しかし、引きつりながらも、これだけは聞こうと、琴子は入江に尋ねる

 

「い、入江くん…、そう言えばさっき、いつから居たの?」

 

「はじめから」

 

…聞かなきゃよかった。しかし、後悔しても今さらである。

今ので、気温が2・3度低くなったであろう空気は、どうすることも出来なかった。

 

青ざめる琴子の肩に、入江はそっと回すと。

 

「今日はおふくろ達もいねーし、しっかり約束、守ってもらおうか」

 

「!!!!!!!!」

 

隆志に感じた恐怖とは別の、うすら寒いものを感じた琴子は

 

 

 

(ぜったい、ぜーったい、もう入江くんとは賭けなんてしないーーーっ!)

 

 

 

 

そう、心に誓うのであった。

 

 

 

 

 

 

完。

 

 

 

あとがき

 

うわっ、長っ!やっと書き終えてみたら、前編と後編の長さが全然違う〜!!

しかも、最近、別館のジャンキー二次創作の文を書いていたので(言い訳)、後半入江くん壊れすぎっ!

17巻で読んだ、「100倍返し」入江くんをイメージして書いてみたんですが、こ、恐すぎです、これ、つーか誰ですか(―0―;

後半終始(無表情で)怒っている入江くん。その後の琴子の行く末が…恐いです(笑)

とにかく、ようやく完結できて、なんだかホッとしていますv

 

最後に、無駄に長い長文をよんでくださったみなさま、根気よく読み続けてくださり

ほんとにありがとうございましたvv

 

苦情・感想いつでもお待ちしております〜♪

 

 

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3/17/2004