誕生日(前篇)

(※この話は単行本2巻の体育祭の頃のお話です)





夏の暑さも陰りも見せる9月の末、間近。
ここに夏の暑さを復活させるような暑苦しい男が拳をふるっていた。


「ええか、打倒A組や!」


威勢のいい金ちゃんの声を聞きながら3年F組の体育祭男女混合リレーのメンバは、引きつった顔でそれを三角座りで見上げていた。


「そろそろ帰りたいんだけど」

「俺も…」

「こらそこ、私語は厳禁や!A組に勝ちとぉないんかい!」


ひそひそと話すクラスメートを見咎めて金ちゃんは怒声を上げる。
しかしその怒声に参戦するものがいた。


「そうよ、金ちゃんの言うとおりよ、打倒A組!」


金ちゃんに文句を言っていた理美とクラスメートの男子はキョトンと琴子を見上げ。
金ちゃんは満面の笑みで琴子を両手を勢いよく握りこんだ。


「ほーか、ほーか琴子、やっと分かってくれたか!そうや、A組の奴らなんぞイチコロ一撃必殺や!」

「え、そこまでは…」


握られて迫られた琴子は一歩二歩引いて呟いた。

かくしてここに、なぜか体育祭に燃える二人と、それを冷めて見守る二人の奇妙な特訓は始まったのだった。


(みてなさい、絶対、ぜーったい、入江くん勝ってすごいって言わせて見せるんだから!)


めらめらと燃え盛る二人の背後で、


「っていうか、A組っていつもなあ…」


「そうよね、体育祭いつも最下位だものね」


とほほと肩を竦めたのだった。





2.





「た…ただいまです……」


入江家の玄関の扉をくぐったのは、へろへろの姿になった琴子だった。


「あらあら琴子ちゃん、今日は遅かったのねえ」

「あ、おばさん」


心配そうにパジャマ姿で駆け寄った入江ママに、なんとか笑顔を作る琴子。


「すみません、ちょっと体育祭の練習でしばらく遅くなりそうなんです」

「まあそうなの、だったらお兄ちゃんも琴子ちゃんと一緒に練習すればいいのに」

「なんで俺がそんなこと、馬鹿馬鹿しい」


丁度琴子と入江ママが話しているところに、風呂上がりの入江が通りかかり、母親の言葉に反論を返す。
しかし、入江ママはそんな言葉を意にも介さず、うっとりした顔で自分の両の手をほほに当てて、呟く。


「夕暮れの校舎のトラックに二人のシルエット。体を寄せ合って体育祭の予行練習。いいわいいわ~、ねえそう思うでしょお兄ちゃん」

「………」


呆れたように胡乱な目を向ける入江。
全くもって、いつものようにそんな入江を気にすることも無く、途端に思い出したように、一つ手をうつと、琴子の方を勢いよく見た。


「そうだわ琴子ちゃん!」

「は、はいっ!?」


たじろぎながらも入江ママに返事をする。


「琴子ちゃんが好きな食べ物はなにかしら」

「好きな食べ物ですか?」


意味が分からないまでも、聞かれたことに素直に答えた琴子。
すると、入江ママはうふふと笑うと。


「ああ、琴子ちゃんのお夕飯用意してくるわね」


そう言って、そそくさとリビングに退散するのだった。


「………」

「………」


沈黙する、琴子と入江。
ちらりと入江が目線だけを下ろせば、よれた琴子が気まずそうにうつむいていた。


「頑張ってるみたいじゃん」


馬鹿にしたように言うその言葉に、少しむっとしたように入江を見上げる。


「そ、そーよ。私たちが本気出せばA組なんて、い、イチコロ一撃必殺なんだから!」

「ふーん、ま、どうでもいいけど」


心底興味のなさそうに言い、入江は琴子に背をむけて自室へ向かっていったのだった。

そこに、悔しそうにする琴子をひとりぽつんと残して。





3.





「いい、みなさん明日は琴子ちゃんが家に来て初めてのの誕生日なんですから、盛大にお祝いしましょうね」


入江ママがリビングでそう言って「おー」と同意したのは、入江パパのみであった。
ソファにくつろぐ他の息子二人は実に白けた表情で各々読書やドリルをこなしていた。

そして当の琴子はこの場に姿はなかった。


「当日まで琴子ちゃんに内緒にしてびっくりしてもらうために、私たちはお祝いの準備をしていますから、お兄ちゃん琴子ちゃんにばれないように学校からエスコートしてきてちょうだい」

「なんで俺が…」


本を閉じて嫌そうに言う。


「つ、れ、て、来、て、ちょうだい」


ずいと迫られ、半ば強引に入江ママが言うと。


「………」


なんだかんだと、この家では最強の入江ママには逆らえるはずもない入江だった。





4.





そんなわけで、翌日の放課後。

入江は眉間に皺を寄せてF組の教室の前に立ち尽くしていた。

眉間に皺を寄せる理由はいくつもあるが、なによりこの教室の前にいる自分に向けられる視線とひそひそ話が目と耳について煩わしいことこのうえなかった。

とはいえ、このまま無かったことにして帰れば、これ以上に煩わしくなるであろう母親の文句が今にも聞こえてきそうなほど想像できるので、他に彼に道などないのではあるが。

ガラリ。扉を開ければそこには何度か見たことのある、出来ればこれ以上関わることは遠慮願いたいF組の教室と生徒たちがいた。

一瞬の沈黙のあとの、先ほどのひそひそ話よりも一オクターブも高いざわめきが教室を埋め尽くす。

きゃあきゃあと叫ばれる悲鳴は、おそらく琴子と自分のことでありもしない噂のありもしない出来事を勝手に妄想して騒ぎ立てている声かと思えば、これから発する自分の言葉が重くなる。


「相原さん、いる?」

なるべく平静に、無表情に、淡々と。

入江は誰にでもなくそう問うた。

しかし、それでも教室の声はさらにパニックのような声になった。

今すぐ、今すぐこの場から出て行きたい。

うっすらと青筋が出るのを自分でも自覚しながら、誰かが応えるのを待つ。


「ちょっと、琴子−っ、ってあの子どこ行ったのよ、こんな大事な時に」

「そう言えば、最近理美たちと体育祭の練習してなかったっけ」

「ああ…そういえば、って、あ、理美!」


その一言で入江に向けられていた視線が一斉に理美に走った。

理美は入江とは別の扉をくぐろうとしていたのだが、クラスメートの視線にぎょっとし、後ずさる。


「へ、な、なによ、どうしたの。ってあーーっ、入江直樹!」

「理美理美、あんた今日琴子と一緒に金ちゃんの特訓付き合ってたんじゃなかったの?」


一人の女子が理美に問いかけた。

すると、理美は入江から視線を女子に戻す。


「そうそれがさ、今日琴子の誕生日でしょ。金ちゃんが『今日は琴子とのランデブーやー!』とか言って練習は中止。あー久しぶりに自由よー!で、それがどうしたの?」


理美に言葉に顔を見合わせるクラスメート。入江もその言葉にため息をついて、くるりときびすを返す。

これで自分の仕事は終わったとばかりに肩をすくめて、


「じゃあ、俺の用事はもうないから」


そう言ってF組を去ろうと一歩進んだ時、入江とすれ違った男がいた、あれはたしか…


「こーとこ!今日はわいとデェトするでー。琴子、おるかー」


すれ違った男はF組に入るなり大声で教室に呼びかけた。


「金ちゃん?琴子と一緒じゃなかったの?」

「へ?琴子はおらんのか?」

「え、でも、じゃあ…」


ざわざわと騒ぎ出すF組の教室。
足を思わず止めていた入江の耳にもそのざわめきは届いていた。


「琴子、どこにいるの?」















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