5.





琴子がいないことに騒然とするF組。


「練習も無いから帰ったんじゃないの」


一人の女子が声を上げた。
しかし、直ぐに別の声が聞こえる。理美とかいう琴子の友人だ。


「机にそのままカバンがあるし、残っているはずよ」


困ったように視線をそのまま真下の机に降ろす理美、なんとはなしに戻ってきてしまった入江もその視線を追えば、確かに見覚えのある自分と同じカバンが机に置いてあった。話しぶりからすれば、それが琴子のカバンだろう。


「でも単に、琴子のことだしカバンを忘れて帰ったのかも」

「あ、それもそうね」


また別の方から聞こえた声に、理美は納得する。しかし、


「定期、ここに落ちているけど」


さっと視線がその言葉のぬしに向かう。それは机の側で屈み、床に落ちていた定期を拾い上げる入江だった。
入江はさっと定期の中身を確認して、F組のクラスメートに視線を投げる。


「歩いて帰ったってことなら、別にいいけど」


つまらなそうにつぶやく入江だったが、F組の、ことさら金之助の反応はすさまじかった。


「琴子――っ!どこやーーーーっ!?」

「あ、待って金ちゃ………って、行っちゃった」


廊下を駆け走る金之助に呆然となるF組。そして静寂の後に訪れるざわめき。


「ねえ、私たちも探したほうがいいかな」

「でも、まだそんなに時間経ってないし」

「ねえ…」

「どうしようか…」


困ったように首をかしげるF組に、入江は肩を竦めてその教室を後にしたのだった。





6.





(ど、ど、ど、どうしよう…)


慌てふためきながらあたりを見回す琴子。
しかし、見回せど見回せど、彼女の視界には何も映らなかった。


「と、閉じ込められた…」


うす闇の体育倉庫の中、琴子は絶望的な声を上げていた。





7.





バンバンバンバン。


倉庫の扉を力強く叩き「おーい」と声をだして助けを呼ぶが、返ってくる声は無い。
次第に疲れてきてしまって、手をやすめ、制服が汚れるのも忘れ、床にぺたぺたと手を探りながら腰を落ち着ける。


「はあ、こんな時鳥目が憎いなあ」


うす闇でも彼女にとって何も見えないに等しいので、とにかく床に手を這わせ何かを探る様にする。


「本当どこ行っちゃたのよ。昨日ここで落としたとしか考えられないんだけどなあ」


そう呟いてまたごそごそと探る琴子。そして、見えない何か生暖かいものに触れる。


―キキッ――


「ぎゃっ!」


驚いて飛び退る。その瞬間何かが駆ける音がした。


「な、ね、ねずみ…?」


触れた手をぶんぶん振り回しながら、心を落ち着かせる。と、次第にこの倉庫の暗闇と静けさの得体の知れなさに気圧され、琴子はごくりと生唾を飲み込んだ。


「そうよ、そーよ、もうじきすればきっと金ちゃんが練習の為に、ここを開けてくれるわよ、そーよ、それまで待っていればいーのよ!」


不安を振り切りように、名案とばかりに琴子は目を輝かせたのである。





8.




―― 一方その頃 ――


「琴子やーい、こーとこーーっ!どこやーーーっ!」


琴子を探す金之助は体育倉庫とは全く正反対の校舎の外を駆けていたのだった。




9.





「あれ、入江。今日用事あるって、先帰ったんじゃなかったのか」


靴箱で渡辺が入江を見つけて声を掛けた。
そして、入江が姿を現した場所に首をかしげる。


「入江お前どこから来たんだ?そっちはF組の靴箱だろ」

「ちょっとな…」


曖昧な答えにますます首をかしげるが、とくに深く追求することはなかった。


「ま、いーや、お前もこれから帰るんだろ、一緒にかえろーぜ」


そう言って肩を叩く渡辺に、


「………」


ちらりとF組の靴箱を再び見て、入江は無言で上履きを履き替えた。





10.





「………こない」


ずん、と項垂れる琴子。

どのくらいなのかは時計も見えないので計りようもないが、待てど暮らせど扉は一向に開かなかった。
いや、何度か金之助の声が遠くで聞こえては、助けを求めてこちらも声を上げたが、どうやら向こうには届いてなかったようである。


「どうして、今日にかぎって練習しにこないのよ〜!」


当の琴子自身は中止になったことを知らなかったようである。


「今日もしかしてあたし、ここで一晩過ごさなきゃならないの?」


最悪を想像して、ますます項垂れる琴子。


「なんでこんな、今日はあたしの誕生日なのに…。今年は入江くんと過ごせる最初で最後の誕生日だったのになあ」


しょんぼりとした声で体躯倉庫の天窓から見えるまあるい月を見上げた。


(新しい家が建って、入江くんちを出て、大学も足切になっちゃえば、ううん、入江くんがT大にいっちゃったら…もう二度と入江くんと誕生日過ごすことなんて出来ないんだ)


一生に一度しかないチャンスを自分で不意にしてしまったことに、悔やんでも悔やみきれなかった。
無意識に右手が自分のスカートのポケットをまさぐる。
しかし、目的のものは無く、自分がそれを探すためにわざわざこんなところまで探しに来たのを思い出し、そしてどうしようもなく自覚してしまう。


「あーあ、やっぱり好きなんだ、入江くんのこと…」


意地悪で、冷たくて、相手になんて全然されていないのは十分わかっている。
この体育祭の練習だってそうだ。一生懸命練習している自分たちを鼻で笑い、馬鹿にしたりして、腹立たしいったらない。

腹立たしい…はずなのに、無意識のうちに、その腹立たしい思いが、入江に認められたい、褒めてもらいたいという願望に代わってしまっているのだ。


「ほんとあたしって馬鹿」


入江に言われなくても、こればっかりは本当にうなずくしかない。


「まったくだな」

「!!!」


唐突に割って入った低い声に驚く。


「ったく、なんてところにいるんだよ」

「い、い、い、い――――」


声の主は体育倉庫の外の扉からだった。
聞こえる声を琴子は知っていた、意地悪で、冷たくて、琴子のことなど相手にもしないはずの…


「入江くん!?」


素っ頓狂な声で扉の向こうに叫んだのだった。





11.





「どうしてここに!?」


金之助や理美ならいざ知らず、ここにやって来たのがまさかの入江だったことに信じられない気持ちの琴子。
そんな琴子の当惑とは裏腹に、入江のひどくつまらなそうに言う。


「おふくろに頼まれたんだよ、誕生日会するから、お前に気づかれないように家に連れて帰れって」

「え…?」


気づかれないも何も、そのままを伝える入江。


「うちに来て初めての誕生日だから驚かせようってさ」

「おばさま…」


入江ママの心遣いに、思わず涙腺が緩む。


「で、わざわさ探しにF組に行けば、あんたがいないと大さわぎだ」


入江の声は体育倉庫の扉の向こう側なので、彼が今どんな表情で今何を思って言っているのかは分からない。


「ごめんね、また迷惑かけちゃって、でもどうやってここが分かったの?」


F組のクラスメートも金之助も気づかなかったのに入江だけがここの場所を探し当てたのが不思議だった。
すると入江は何でもない事のように続ける。


「靴だよ」

「え?靴?」


思わず見えない足元を見てしまう。


「そ、靴箱の中に上履きがあったから。校舎内で外履きでしか行けなくて、かつ人目に付きにくい場所はそんなにないからな。例えば…このグラウンドの体育倉庫とかな」

「さっすがー」


扉の向こうに向かって拍手をする琴子。
反対に向こうからは呆れたようなため息が帰ってくる。


「先生に鍵を持ってきてもらうよう頼んだから、もうじき開けられるよ」

「……ありがとう」


すごくすごくほっとした、琴子の心からの言葉だった。


(こんな、大変なことになって、心細かったけど、でも入江くんがいてくれるなんて、今年のあたしの誕生日は最高の日になっちゃった)


扉の向こうにいる入江に少しでも近づくように背中で扉にもたれかかり、琴子は先生が来るまで、入江と他愛のない話をするのだった。





12.





先生にはこっぴどく叱られた。
が、入江が横にいたせいか、いつもよりは気持ちマイルドだった気もしなくは無かった。


「で、なんでこんなところにいたんだよ」

そして、体育倉庫前に残された二人、入江はぎろりと琴子を見下ろす。


「そ、それは…、そ、そう!体育祭の練習に決まってるじゃない!」


尋ねる入江に、あたふたと答える琴子。


「制服のままで?」

「うっ……」


一言で看破された。
そして、言い逃れできないと観念した琴子はぼそりと呟いた。


「探し物してて…今日の昼休憩に練習していた時に落としたと思ったから…、グラウンドにも無かったし、きっと片づけている間に落としたのかなって」


「ふーん、でどんなの?」

「そ、それはっ、入江くんには関係ないじゃない」


この期に及んで突っぱねる琴子に、入江は無言で指を地面に指した。


「もしかして、それ?」

「へ?」


入江の指差す方をのぞく琴子、その先には―――。


「あーーっ!あったーーーっ!!」

その足元のそれをつかみ挙げると、琴子は叫んだ。


「よかったー、よかったー、見つかってほんとによかったよー」


琴子はそれを抱きしめんばかりに抱えると、ぴょんぴょんとはしゃいでいる。
その『定期入れ』を握り締めて。


「なんで定期入れなんて持って練習してたんだ」


しらと、入江が問う。
入江の声に、途端に喜びを伏せて、顔を赤くする琴子。


「いーじゃない、これはお守りなんだから」

「お守り?」

「そ、そーよ」


顔を真っ赤にして、そしてぷいとそっぽを向き、足早に校舎に走り出す琴子。
グラウンドに取り残され、小さくなっていく琴子を見る入江は、

「ふーん」


どこか、楽しそうに呟くのだった。





13.





「もう琴子どこ行ってたのよ!」

「ご、ごめんなさい」


教室に戻れば、心配してくれていたF組のクラスメートたちがわらわらと集まった。


「ちょっと探し物してて、気づいたら遅くなっちゃって…」

「もう、金ちゃんなんて、今外まで探しに行っちゃったわよ」


あきれ顔で言う理美に、ただただ謝る琴子。

ふと理美が琴子が握り締めているそれに気づく。


「あらあんた、それ…」

「あ、うん、これなんだけど探してたのって。見つかってほんと…」

「それ入江が持ってたけど」

「え」


驚いて理美と定期入れを交互に見る。


「だってこれ…」

「ま、探しもの見つかったってんなら、帰ろーよ、琴子。おばさんも待ってるんでしょ?」

「え、あ、うん…」


理美に引きヅラれるように校舎を後にすると、すっかり暮れてしまったグラウンドにはもう入江の姿は無い。用は済んだとばかりに先に帰ってしまったのだろう。
どの道、あとで会うことになるのだから、そう問題ではないのだが、


問題は……


ごそりと、右ポケットをまさぐる琴子。ポケットにはいつものように定期入れが収まっていた。

電車の通る為にそれを開く。

そして、その定期入れに挟まっているものをついでに引っ張り出す。



それは、入江ママから中間テストの時にもらった『お守り』と称された入江との写真だった。



(入江くん、これをあたしに届けに来てくれたのかな、だったら最高の誕生日プレゼントなのにな)


ゴトンゴトンと電車に揺られながら、幸せな夢に浸るのと同時に、この後どんな顔をして入江に会えばいいのか、困惑する琴子なのであった。















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