14枚目の扉はラフィの目の前で開かれた。

開かれた眼前には、毒々しいまでの赤いドレス。そして、漆喰よりも濃いブルネットの髪。

伏せた瞳は未だ開かれず、ただ開かれた扉で、まるで初めからそうしていたように佇んでいた。

 

(こりゃあ、カイルのどんぴしゃストライクゾーンだな)

 

…などと思ったことはとりあえず伏せて、胡乱にその女をながめる。

女のほうは首をほんの少し傾げて、ラフィの刃を見、そして背後の黒ずくめを見た。

覆面の布を再びまとい、はみ出した金髪がラフィの背後で少しだけ震えて、構えた短剣を彼女に向けていた。

 

「やはり、殺しませなんだか」

「だれもかれも殺して回るような、あんたとは違うんでね。おまけにこのくず剣で人は切れねーよ」

 

血、一滴もつかない剣はようやく鞘におさまった。

反対に、赤いドレスの女の腕は、ドレスのそれと同じように赤く滴っていた。

 

「結局あんたは、こいつの…リオーウェンの暗殺騒ぎに便乗して、自分の暗殺対象を殺ったってことか?ってことは、カイルが見誤ったのか」

「いいえ、違います聖騎士様。かの聖王の“眼”は真実しか捉えないことくらいご存知でしょう。先見の賢者よりも神の予見よりも、なにより正確な“眼”でございます」

 

象牙のような肌に、不釣合いなほどの赤い口紅か笑みを作り上げてゆく。

 

「たった今、私は聖王の暗殺を賜ったのでございます。哀れで愚かな先王に――」

 

ラフィはかすかに眼を開いた。背後の彼も深く息を吸ったのを感じる。

 

「あの人はもう死んだ。4年も前の話だ、自分自身の狂気に侵されてな」

「彼の王の意思を継ぐものが、そうであろうと願いました。私の報酬は高うございます、と申しましたところ、とても満足いただけるものをいただきましたので」

「…依頼者の命が報酬なんて、趣味が悪りーな。お前フリーランスの暗殺者だろ。おめーみたいな奴がいるなんて、まだまだ世の中荒れてるってことだな」

「世界はそう、変わることはありますまい。いや、これから世は面白くなるのでございます。ふふ…」

心から面白そうに女はクルリと回った。ドレスはその弧を描き、小さな高窓から斜にかかる木漏れ日と相まって、ひとときだけここが牢獄だと言うことを忘れさせるような光景であった。

「あなたの“眼”に、それが映ることがないのがとても残念でございます」

軽やかなステップでクルリと回る女の腕から十数本の鉄串が飛ぶ。

「んなろっ」

居合い抜きですべて弾き飛ばすラフィ。彼女の狙いはラフィではない、その奥にいる黒ずくめの男。

串はすべて殺したが、はじかれた其れは覆面の端を引っ掛けた。

 

「ご尊顔、拝謁至極にございます。―――聖王様」

 

剥がされた覆面から現れたのは、金髪に緑眼の容貌。そして、額にはまるではめ込まれたようにピタリと収まった額飾り。

 

「…だからっ、俺はやめろって言ったんだよ!ばれてるじゃねーか、いろいろそれっぽく芝居した俺が恥ずかしいだろーがっ!!」

「あはは、案の定ってやつだねぇ」

「笑うなっ、展開的にはドシリアスだ!!」

 

のほほんとそこに立つ黒ずくめ――カイルは、歯噛みしているラフィをよそに、ドレスの女を見て微笑む。

 

「美しい方、名を名乗ってはくれませんか?」

「おい、言っとくが、こんなところでナンパすんじゃねーぞ」

 

ラフィの言葉を無視する形でカイルは一歩彼女の前に踏み出す。

 

「私が恐ろしくありませんか?聖王様」

 

ドレスの女も一歩カイルの下に近づき、その前に跪いた。

 

「どうしてです?人を殺す暗殺者だからですか?それとも、私を殺そうとする暗殺者だからですか?だとすれば答えは『いいえ』ですよ。私も戦と言う大義名分を除けば人殺しです。そして後者の答えはあなたも分かるはずですよ。私には“見えて”いる」

 

すると彼女は満足そうに、うなずいた。

 

「ええ、そうです。今はあなたを殺す時期ではありません。本日は依頼を賜ることと、あなた様のお顔を拝見できたことで良しとするのが僥倖にございましょう。それに、これ以上聖騎士殿を逆撫ですると、私の命も危うくございますので」

「俺は今でも十分やる気まんまんだぞ。つーか、なんだこの展開は、おれは置いてきぼりか?」

存在を主張するように革のブーツを鳴らすラフィ。

そのふてくされた様子に、苦笑するカイルと、微笑むドレスの女。

 

「クレナイ、と申します。以後お見知りおきを」

「綺麗な名前ですね。はい、よろしくお願いします」

「うおーい、まてまて。おかしいだろ、それ。このまま帰れると思うのかよ」

 

長いドレスを翻し、背を向けるクレナイに、ピタリとその背に刃を向けた。

女は刃をおそれもせず一瞥をラフィに向けて、微笑んだ。

 

「全ての戦は、起こすのは簡単ですが、終わりは始めた人間の手にあるわけではありません」

「あ?」

 

突然ふられた会話に、眼を丸くする。

 

「始めるほうはどんな臆病者にも出来ますが、やめる時は勝者でなくてはならない―――ある賢者の言葉です。では、この戦は本当に収まったのでしょうか?聖騎士様、お気をつけなさい、賽は投じられたままでございます」

 

すると、彼女はドレスを纏っているとは思えない動きで扉の向こう、塔の最上階へ駆け上がる。

 

「あっ、くそ!待ちやが…」

「いいんだ、ラフィ」

 

追おうとするラフィをカイルは制した。

 

「今回は彼女に借りを作ってしまった形だからね。見逃すってことでチャラにしようじゃないか」

 

ゆっくりとした足取りで回廊を上るカイル。剣を鞘に収め、ラフィは後を追うかたちでついて行く。

最上階の牢獄の扉までたどりついた二人は、鍵の心配など微塵も思わず、その牢を開いた。

 

何者も無かった。

 

どちらかといえば清潔な部類に入るであろう石床。人の生活など微塵も感じさせるものはないその虚空。

 

「3年、死してもなお、父を想ってくださったこと感謝しております。ホーククリフト叔父上」

 

 

 

切願の願いを告げた亡霊は、ついにと言える永い眠りについたのだった。

 

 

 

**********

 

 

 

「つーか、お前、体は本気でどうしたんだ?」

「あっはっはっ、やだなぁラフィ。あの程度の毒で寝たきりなんてありえ無いだろう?冗談冗談」

「あーもー!やっぱりか、やっぱりなのかよっ!!」

 

埃と湿気と汗でべたべたした髪をかきむしって怒鳴るラフィ。ともすると、足元のそれが身じろぎした。

 

「んで、コイツはどーすんだよ」

 

ぐう、すう、と足元で眠りについている金髪の少年。身包みはラフィに剥がされ、カイルが着ているので下着だけのなんとも情けないすがたで、石牢の牢獄に投げ出されていた。

 

「そうだね、まぁ、ジーゼルに釘刺されたからイタズラも出来ないしなぁ」

「あぁ?ジーゼル、あいつ何のために来たのかと思えば、お前んとこに来てたのか?」

 

呆れてため息をついた、結局あいつは徹頭徹尾、厭な奴だったということで終わるらしい。

 

「そう、『弟がつまらんことを企ててるみたいだが、適当に追い返してくれ』ってさ、弟想いだよね」

「で、このまんま返すのか?」

 

ラフィは返ってくるであろう答えを予想していた。予想しながら、あえて問うた。

リオーウェンを眺めながらクスクスと含み笑いをするカイル。

 

「ふふふ、ラブレターの返事を返すくらいの義理は残ってるだろう、ねぇ?」

 

 

なんとはなしに―――…

ラフィは心の中で誰ともなく祈ってみた。

 

 

 

**********

 

 

 

「兄上ぇ、兄上ぇーーっ!あーにーうーえーーっ!!」

「騒がしい」

 

ゴンッ、と小気味よい音をリオーウェンの頭上に降らせたジーゼル。

 

「だって、兄上っ!」

「だっても何もあるか、ここには近づくなと言っただろう、呪われるぞ」

 

「近いような気もするが、まて」

あれから3日目、王宮の裏門で、感動の再開のようなものを果たした兄弟に投げやりに突っ込んだラフィ。

「あーなんだ、リオーウェン。結構重宝したから、また来てくれると助かるってカイルが…」

「絶対、二度と来るもんかーっ!あんなの影武者の仕事ではないか、いや畜生仕事だぞ!なんど死ぬかと思ったことか!」

「お前意味なく身体能力いいもんな。ここ数日、楽させてもらったなー」

頷いたラフィに、こんどはジーゼルの純白のマントにしがみついて隠れたリオーウェン。

「あ、あ、兄上、はやく帰りましょう!もう全力で!!」

黙って眉間を寄せたジーゼルは、少しだけ肩を落としてラフィを見た。

「父の件の報告書を見た。感謝はせん、貴様らがまねいた事態でもあるからな。だが、弟の件を内密にしたことは感謝する。それだけだ」

「へいへい」

適当に手を振る、当初の礼儀はどこ吹く風だ。

「もう二度と会うまいよ」

 

ジーゼルとリオーウェンはそれきり振り返ることもなく、彼の馬車まで向かった。

ラフィも特に見送ることもなく、そのまま王宮に引き返した。

 晴天なる大空、風がラフィの夜色の髪を凪いだ。

 

「これで、一件落着ってか?――んなわけあるか、問題さらに山積みしやがって」

はぁー、と長いため息をついた彼の後ろに、付いてきた者がいた。

「なんだか不満そうだね、ラフィ」

「あのなぁ、心労増やされて不満が無いなんて言ってられるほど、お人よしじゃねーぞ俺は」

クルリと振り向いたその目の前には、いつものように金の髪に瞳と同じ緑柱石の髪飾り、そして略式の王冠を載せたカイルの姿。

「だいたい甘いんだよカイルは。つか背負いすぎだっての、なんもかんも護ろうとするから、いろんなとこから狙われたり逆恨みやら本恨みやら買うんだって、そろそろ気づけ」

「うん、まぁ知ってはいるんだけどね」

「だったらちっとは自粛しろっ、俺の平穏を少しは与えろっ」

 怒鳴りつけたところで、変わるわけも無いカイルの態度に、分かりすぎるほど分かっているのに、どうしても怒鳴らなければやっていられない。

 カイルはそんなラフィに苦笑を返した。

「ほんとは、もういいんだよラフィ、別にここに縛られる必要はないんだから」

「やかましい」

ばさりとカイルの言葉を切ったラフィ。

「お前に何が“見えて”もな、俺はこっから離れる気はねーからな。3年前、つかその前にも言ったけどな、俺は約束は守る、それだけだ」

そう仏頂面で返した。

そんなラフィに、今度は満面の笑みを浮かべてカイルは小首をかしげた。

 

「ところでさぁ」

 

「ん?」

 

「『絹のようになめらかな大根の桂剥き』はどこにいったのかな?」

 

「あ…」

 

その後に響いたラフィの絶叫に、遠くの宿舎で副隊長は、大量の大根のきんぴらをぽりぽりとほお張りながら沈痛な面持ちで聞いたのだった。













   
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