『あなたは命より大切なものがありますか』

 

 

 

 

 

一握(いちあく)願い(ねがい)

 

 

 

 

 

「あんた何してんだ?」

 

あたしはびっくりして頭の上から聞こえるこえてくる声に顔をあげる。

 

見ると男の人だった。

 

ううん。男の子って言ってもいいくらいの年の子だ。

 

「見て分からない?」

 

「自殺しようとしてる?」

 

「分かってんじゃない」

 

小首をかしげて聞いてくる少年にきっぱりとそう言い放つ。

 

今、私は17階の屋上のビルの縁に片手でフェンスをつかんで座っていた。

 

そして、私はビルの屋上のフェンスかけた手を、相手に見せ付けるように、離そうとする。

 

もちろん、目の前にいる少年をただ驚かして見たかっただけで、ビルから飛び降りる気は毛頭なかった。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

沈黙。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

沈黙。

 

「ちょっとっ」

 

まったく無反応な少年に結局自分が折れてしまった。

 

「なに?」

 

「自殺しようとしてる女がいるのよ。止めなさいよ」

 

「なんで?」

 

「なんでって…」

 

思わず私の方が口ごもる。

 

「ふむ…。確かにもったいないよな」

 

「もったいない?」

 

私が口ごもって考えている間に少年がそう呟いた。

 

それにあたしが聞きとがめる。

 

「うん、もったいない。なあ、あんた…」

 

そう言って、ヒラリとフェンスを乗り越え、あたしの前に少年が立つと

 

 

 

「どうせ命を捨てるなら、何か願い事はないのか?」

 

 

 

私は3回目の沈黙をたっぷりかけてから

 

「はい?」

 

と、間の抜けた顔をして相手を見ていた。

 

 

2.

 

 

「まぁ、ぶっちゃけて言えば、俺は『魔法使い』なんだ。だから命と引き換えに願いをかなえてやるよ」

 

「どこの世界に『命と引き換え』に願いをかなえる魔法使いがいるのよ。それって悪魔でしょ」

 

「…女にはメルヘンチックな感じの方が、受けがいいからに決まってるだろ」

 

「……あっそ」

 

と、なんでこうもあっさり私が彼の言葉を受け入れているのかと言うと。

 

浮いてるのである、空に。

 

しかもこのビルの17階と同じ高さで。

 

「でも、残念ながら。別に死にたいとは思っていたけど、本気で死ぬ気はなかったわよ」

 

「なんだそりゃ」

 

「複雑なのよ」

 

「ふーん」

 

そうして四たびの沈黙。

 

次に、口を開いたのは少年の方だった。

 

「で?願い事は?」

 

「…あのねぇ」

 

眉間に皺をよせ、すくっとそこから立ち上がると。

 

「自分が死んじゃって願い事がかなっても、意味ないでしょ。じゃあね」

 

そう言って、私はフェンスをよじ登って帰ろうとする。

 

すると

 

「そうか?命より大事な物、ひとつくらいあるだろう」

 

「…そんなもの、あるわけないじゃない」

 

「いいや…」

 

そう言い切ると、少年は私の上を通り過ぎ、最初と同じように私を見下ろすと。

 

「あんたは、俺に会った。それが、あんたに命よりも大事な物がある証拠だ」

 

そう言って、彼はまるで魔法使いのように

 

「そういう奴は嫌いじゃない。俺が必要なら俺を呼べ、すぐにあんたの願いを叶えてやる。命と引き換えにな」

 

私の目の前からかき消えた。

 

 

3.

 

 

コンコン…

 

「どうぞ」

 

扉から、私を安心させる声が聞こえて、遠慮なく扉をくぐる。

 

「やっ、元気だった?」

 

「ハナ。今日も来てくれたのか」

 

「もちろん。ちゃんと手土産もあるわよ」

 

そう言って私は彼の寝台の横にそれを置く。

 

ここは病院の一角にある個人病室。

 

そこに、彼は横たわっていた。

 

「俺は、幸せもんだな。妹にこんなにやさしくされて」

 

「そう思うんなら、早く直して、今度どこかにつれってってよ」

 

そう言うと、彼の胸に飛び込むようにして、ダダをこねた。

 

「はいはい…」そう言って、私の頭をなでてくれた。

 

「ふふっ、お兄ちゃん。大好きだよ」

 

「俺もだよ、ハナ」

 

そう言い合うあたしたちに

 

「華子さん」

 

振り向くと、そこには…

 

「お母さん」

 

彼の言葉に目だけ返事をし

 

「ちょっと、いいですか?」

 

「はい…」

 

そう言って、私は母の後を追うように席を立ち

 

「ちょっと、話があるみたい。言ってくるね」

 

「うん。言ってらっしゃい」

 

そうして、優しく微笑む彼に、私はたまらなくなって

 

「ホントに、ホントに大好きだよ…武志」

 

わたしは微笑みかえし、病室のドアを重くしめた。

 

 

4.

 

 

「お願いします、華子さん」

 

目の前にいる、彼の母親は涙を流し私に訴える。

 

「もうあの子と関わらないでやってください」

 

「どういう…意味ですか?」

 

彼女の言ってることを理解しているのに、感情がついていかなくなり、問いただす。

 

「あの子は弱いの。これ以上、武志が壊れていくのをあたしは見てられない」

 

「だけど…私はっ!」

 

スッと、彼女は私の目の前に1枚の紙を渡した。

 

その紙を広げ、私は思わずその場にへたり込む。

 

何度も…

 

何度も……

 

言葉をつなげるために口を開く努力をして、ようやく出た言葉は

 

「…れでも…わたしは、…彼の奥さんなの…よ…」

 

ようやく出せた言葉に答えた人間はいない。

 

彼の母親はすでにその場を去っていた。

 

 

 

1枚の…すでに両方のサインがされた「離婚届」をのこして…。

 

 

 

5.

 

 

その離婚届を区役所に出したあと。

 

あたしは誘われるように、あの廃ビルの屋上に向かっていた。

 

そして、あの不思議な「自称魔法使い」の少年と出会ったのだ。

 

 

6.

 

 

『ハナは俺と正反対だよな』

 

『どういう意味?』

 

『とても強いってこと』 

 

『…喧嘩売ってる?』

 

『まさか、きっと結婚したら、尻に敷かれるって意味』

 

『……え?』

 

『結婚しようよ、ハナ。人並みの幸せ…ってどんなのか良く分からないけど。二人で幸せになる努力をしよう。たとえそれで…』

 

『あたしに尻に敷かれた…としても?』

 

『うん。』

 

『あたしが金遣い、実はすごく荒くても?』

 

『うん』

 

『もしかしたら、暴力振るうかも…』

 

『大丈夫。いつもの事…あ、いたっ』

 

あたしに殴られて、腕で頭を庇いながら彼は微笑むと

 

『ここまで、譲歩したんだ。そんな奇特な奴は、きっと俺だけだよ』

 

そう、ずうずうしく言ったのだった。

 

 

 

それは、わずか半年前のお話。

 

 

 

その半年後、たった一つの真実はたった一つの事実によって彼は私を忘れてしまった。

 

 

 

7.

 

 

目の前で掻き消えた少年を見とどけると、私は帰るためにビルを降りようとした。

 

けど…

 

「どこに帰ったらいいんだろ…」

 

彼のもとへは二度と帰れない。

 

もう、彼と私をつなぐ物は何一つとしてないのだ。

 

(これからどうすれば…)

 

ピピピピピ…

 

ビクリとして、私はかばんを見る。携帯の着信音だ。

 

見るとそれは彼の母親からの電話だった。

 

「もしもし…、お母さん?あ、離婚届はちゃんと出しました………え?」

 

『どうしましょう、華子さん』

 

その後、母親の「ごめんなさい、ごめんなさい」と言う意味の分からない謝罪を、私は母親の第一声に硬直して、後は何も聞こえなかった。

 

 

[武志が病室から消えてしまったの]

 

 


―それを聞くとあたしは、すでにどこへ向かうともしれず駆け出していた―――





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