西垣先生の憂鬱 6. 旦那がいたはずの神戸への移動話を断りに、全力で駆けてゆく入江くんを呆然と見送りながら、 俺は、その神戸に居るはずの男に声をかけた。 「おまえが、入江くんの旦那だったとはなあ、いやはや、意外というか、なんというか」 「そうですか」 あの大騒動があったにもかかわらず、全く動じていない入江。いや、どちらかといえば予想の範囲だったのか、苦笑気味に入江くんの背中を見送っていた。 「いや、予想外というか、予定外というか…、俺としては、彼女が移動する前に後腐れのないなんとやらがなあ…」 「なんの話をしているんです」 ものすごく怖い顔でにらまれた。 こいつ…、俺が指導医ってこと分かってるのか。 いまさらながらに、他の先生達が指導医を敬遠した理由が分かってきた気がした。 …こんな指導医を指導医と思わない態度の研修医をかつて見たことがあっただろうか。 気にくわない、まったくもって気にくわない。 初めの時から『なんとなく』気にくわない男だったが、いまでは『完全』に気にくわない男へと俺の中で決定した。 まあ、それからというもの、結局、琴子ちゃんは神戸の病院に移ることもなく、入江と同じ第三外科で勤務することが出来るようなったのだが… 「あ、入江くーん!」 「いま、仕事中だから」 入江の指導医ということもあって、この夫婦のやりとりを一番近くで眺めることになる羽目になる俺は、入江の琴子ちゃんに対する素っ気ない態度の徹底ぶりにあきれかえっていた。 「入江、お前な。もうちょっと琴子ちゃんに優しい言葉の一つもかけてやれないのか?あれじゃあ、可哀想だろう」 入江を追いかけてきて、冷たい言葉で一蹴された琴子ちゃんが「そんなあ」とがっくりしているのにもかかわらず、スタスタと廊下を進む入江を俺が追いかけて問いただした。 「西垣先生には関係のないことですよ」 「いーや、関係大ありだ。俺は全人類の女性の味方だからな、こんな横暴許せるわけがない」 俺の言葉に呆れたようにため息をつく入江。そんな態度がますます腹立たしい。 (こいつは、琴子ちゃんのあの努力をまったく分かってないんじゃないのか) 久しぶりの対面というのに、琴子ちゃんに対する、実に素っ気ない言葉、態度。 彼女がどんなにがんばって、先日の神戸行きを手に入れたのか、こいつはちっとも分かっていないような気がして腹立たしかった。 あんな風に思われている相手というのが、この目の前の小憎らしい男だなんて、無性に納得がいかない。 「ふん、ま、いーさ。後で俺がしっかり慰めてあげるからな。それから、お前午後のオペ俺の第二助手なんだから、手間取るなよ」 「ええ」 第二助手といえば、助手の助手であるのだが、それでもこの病院に来て初めての手術である。 それにもかかわらず余裕さえ感じられる返事に「ふん」と俺は鼻を鳴らすと。 「『天才』の手際拝見させてもおうか」 にやりと笑ってそういった。 そうして、始まった手術はもちろん成功であった。 もちろんこの俺の執刀なのだから間違いがあるわけがない。 ただし、その手術のあとに聞いた琴子ちゃんの凄絶な「手術デビュー」話を、入江とともに聞いたときは、さすがに言葉を無くした。 そして、それでもため息一つしか漏らさない入江には、ある意味感心してしまった。 7. 「ああ、いた。琴子ちゃん」 「西垣先生?」 今夜琴子ちゃんが夜勤なのは、ばっちりチェック済み。 なので、ナースステーションを訪れた俺は、1人ぼうっとコーヒーを眺めていた彼女を見つけて声をかける。 俺に気づいた彼女は、普段の元気なソレが全く見えず。 俺は出来る限り努めて明るく言った。 「聞いたよ、大蛇森先生の事件。いやー、さすが琴子ちゃん、やることが違うなあ」 そう言った俺に、きっと彼女はむっとして反論するだろう。そう思って言った言葉だったのだが、俺の予想に反し琴子ちゃんはその言葉にうなだれて、何も言わなくなった。 「ああそういえば、医局旅行も行かないって聞いたよ。らしくないなあ、珍しく落ち込んでるの?」 「め、珍しいって失礼な!あ、あたしだって落ち込むくらいするんですからね」 今度は反論してきた。内心いつも通りの反応にどこかほっとしながら、彼女の隣にコーヒーとともに腰掛ける。 「だから、言ったじゃない。俺が今度手取り足取り教えてあげるって。入江なんかよりずっとうまいよ、僕」 「入江くん…」 俺の「入江」の言葉に反応して、うるっ、と今度は涙が瞳からあふれそうになる。 「こ、琴子ちゃん!?」 「い、入江くんも、この話きっと知ってますよね。それで、きっと呆れられますよね。それで、あたし、あたし…、これじゃあ入江くんの迷惑…」 「いやあ、それは…」 どうだろう。と、言おうとして考える。…たしかに、入江は呆れていそうだ。 だけど、 「迷惑、とは思っていないと思うな。うん」 「ほ、本当!?そう思います、西垣先生!?」 「うっ、うん」 飛びかからん勢いの彼女に気圧されて、思わず即答した。 「というか、あいつに聞いてみたらいいだろ?」 「それが、入江くん移動したばっかだし、忙しくてなかなか、会えないし」 「なるほどなあ、医者と看護師の憂鬱だ」 「え?何ですソレ?」 「すれ違いの多い医師、看護師カップルへ贈る、僕が創ったことわざ。どう、今の君たちにぴったりだ」 「なんですそれ…」 もう一度つっこまれた。うーむ、不発だったか。 苦笑して、持ってきていたコーヒーを啜った。 すっかり、冷め切ったコーヒーは春の夜には少し寂しい味がした。 「それと、もう一つ解決方法があるかな」 「え、なんです、なんですか!?」 再びこちらにぐいと近づいた彼女はこちらの目をのぞき込む。 (無防備だなあ) などと、思っているなど口には出さず、僕は薄く笑って首をかしげた。 「入江じゃなくて、僕を好きになる。そうすれば入江なんて関係ない」 「無理です」 半眼で即答された。 「なんで?僕は入江より優秀な医者だし、入江よりいい男だよ、優しいし」 「入江くんの方が優秀だし、入江くんの方が格好いいし、入江くんの方が優しいです!」 力強く否定された。が、最後の部分だけ納得いかないのは気のせいか? 「だいたいっ、西垣先生は女の人だったら誰でもいいんじゃないですか」 「なにそれ、誰が言ってるの」 「入江くんが」 あの男…、よくもまあそんなことを、しゃあしゃあと。 あとできっちり話をつけてやる。 そんなことを頭の隅で考えながら、俺は上から覆うように彼女の顔をのぞき込む。 「じゃあ、本気だったら?」 「へ?」 「本気だったら、僕のこともそんな風に思ってくれるのかな」 「西垣先生?じょうだん…ですよね?」 猫に追い詰められた鼠のような顔で琴子ちゃんが俺をみた。 (ああ、違う。こんな顔が見たいわけじゃないのにな) 困り果てた顔の彼女を見て、そう言えば俺は彼女を慰めに来たのだと思い出した。 これじゃあまったくの正反対だ。 「なあんて」 「はあ!?」 目を白黒させて、素っ頓狂な声を上げて驚く琴子ちゃんに、思わず吹き出す。 「あっはっはっ、いやー、面白いなあ」 「……っ!?からかってたんですね、西垣先生!?」 涙目でこちらを睨んだ彼女はスクッと立ち上がり、俺の横を通り過ぎた。 「あれ、どこ行くの、琴子ちゃん」 「見回りですっ!西垣先生はそこで1人で笑っていてください!」 そう言って遠くなって行く、彼女に俺はまだ笑いの収まらない声で話す。 「ごめんね、その代わりお詫びはしっかりするからさ」 遠くなって見えなくなった彼女に、俺の言葉が届いたのかどうかは分からないが… 翌朝、 『入江おまえ、今度の医局旅行は居残り組な』 『なんなんですか、突然』 朝一番の俺の言葉に、きょとんとなった入江が少しだけ見物だったと、俺は思った。 |
なかがき
残すところあと2話となりました!
ほんと100%純正思いつき小説ですが、ここまでお読みくださりありがとうございます。
あと、もう少しだけおつきあいいただけると嬉しいです。
さあ今から書くぞ(ぇ