西垣先生の憂鬱 5. 「はじめまして」 そういって、手を差し出した目の前にいる男の第一印象は、『気にくわない奴』だった。 医局で、差し出された右手を握りかえして、値踏みするように俺は新しく配属された研修医を見た。 「へえ、お前が噂の『天才』くんね、話は院長から聞いていたけど、ふーん…」 「なんですか?」 不躾な俺の視線が気にくわなかったのだろう。形のいい眉をひそめて非難がましく俺を見た。 俺が聞いていた話の入江直樹という男の想像は、温い環境で何不自由なく、したいことをして育ってきた頭でっかちのお坊ちゃん、そんなものだった。 俺としては、たとえ院長の頼みだからといって、男の研修医を甘やかすような温い気などさらさら無かったわけで…まあ、それが俺が指導医になった理由の一つなのかもしれないが。 入江は周りのざわめく声に気づいているのか、いないのか…。少なくとも俺の耳にはたまたま医局にいた、浮き足だったナースの声や女医の声が聞こえて、思わず眉間にしわが寄る。 (こんな顔のいい奴だなんて聞いてないぞ) もちろん、そんなことを院長達が気にするわけが無いのだから、必然的に伝わってくるはずもない。俺はその不躾に見てしまった言い訳を口にしなければいけなくなった。 「いやいや、時期外れの研修医が入ると聞いて、どんな奴かと思ってたんだ。なかなか男前じゃないか、これじゃあうちのナース達がほっとかないな、まあ僕ほどじゃないけどね」 ははは、とちゃかして笑うと、入江は表情を一つも変えず、視線だけを廊下に戻して、俺に言葉を返した。 「そうですか」 なんと、そっけない返事。 「おいおい、まさかその年で女に興味がないとか言うんじゃないだろ?やめとけ、やめとけ、男は遊んでなんぼだぞ、お、そうだ。なんなら今度合コンいくか?」 そういった俺に、周りのナース達が色めくのが聞こえる。はっきり言って面白くないが…。 「遠慮しておきます」 即答したその言葉に、ますます面白くない俺だった。 (ふん、つまらん) せっかく誘ってやったっていうのに、こうもあっさりと断られるとは。 「ま、いい。今から俺の担当の患者さんの回診があるから。今日はとりあえずついて回ってくれ」 「はい」 そういって入江と俺は入院患者の病棟へ向かった。 「ポリクリはこの病院だったって聞いているから、今更病棟の説明はしないぞ」 「ええ」 簡単な患者の説明を話していると、すぐにナースステーションに着いた。 俺は回診の準備の為に、ちょうどそこにいた主任を見つけ、声をかける。 「主任、回診に行くので準備をお願いします」 声をかけて、ナースステーションの空気がざわめいていることに気づいた。 (なんだ?) と、思ったのは一瞬で、原因にすぐに気づいてうんざりしたようにうなだれた。 もちろん、ざわめきの根源は背後にいるであろう入江直樹だ。 俺があきらめてもう一度主任に声をかけようとしたが、主任はようやく俺の言葉を思い出したように相づちを打った。 「あ、は、はい。…あの、ところでそちらの方は…?」 それでも、背後にいる研修医が気になって仕方ない、それは他の看護婦もそう思っているようで。そんな様子に、ため息をつきながら。俺は一応彼を紹介する。 「本日付で配属となった入江直樹先生だ」 「はじめまして」 本当に簡単な説明に入江は、やはり簡単に一言そう言うだけだった。 その言葉を確認してからか、主任は入江に向かって声をかける。 「入江先生。先ほどはありがとうございました」 俺にはなんのことか分からないが、入江の方は心当たりがあったらしい「あぁ」といって納得した顔をした。 「てっきり小児外科の方かと思ったのですけど、第三外科の先生でいらしたんですね」 「ええ、これからもよろしくお願いします」 おそらく、以前にでも主任と会ったことがあるのだろう。にこりと笑いかける、愛想のいい入江に、さっきのあの無愛想な応答はなんだったんだと、思わずツッコミを入れたくなった。 その入江から勢いよく顔をそらし、そして思い出したように、俺の方に声をかけた。 「西垣先生、そういえば先に入江さんがもう病室に行っています」 だったら、それを先に行ってくれ。肩すかしをくらっている俺の横で、その言葉に入江のほうが反応した。 「入江?」 入江が聞き返した。ああ、そういえばこいつも「入江」で、入江くんも「入江」だな。 今更ながら、この2人が同姓の事に気づき、ひとりポンと手をうった。 「あぁ、看護婦に入江琴子さんという子がいるんですよ、なんだかややこしくてすみません」 主任が同姓のナースに関して、入江に説明する。しかし、これは確かにややこしい。 「入江くんか…、入江がいることだし今度から入江くんのこと琴子ちゃんて呼ぼうかな」 そう呼べば、彼女はどう反応するだろう?それは、想像すると少し楽しかった。しかし、そんな俺の提案に、主任が久しぶりに見る安堵の笑みを俺に返してきた。 「いえ、そんな心配いりませんよ、彼女今度、移動することになったんです」 寝耳に水とはこのことだった。 「えぇ?入江くん移動するの?」 思った以上に驚いている自分自身に驚きながら、清水主任の嬉しそうな声を聞いていた。 「ええ、なんでも、旦那さんのいる神戸に空きが出たとかって、もうはしゃぎまくってましたよ」 そうか…と、俺は数日前に見た彼女を思い出した。 旦那に逢いたい、ただそれだけの為に睡眠を削って努力する彼女を、あんなに一生懸命な彼女を、「うらやましい」と思いながら。 どうしたら、ああいう風に人を好きになれるんだろう。 どうしたら、あんな風に人に好きになってもらえるんだろう。 あんな風に思われるのはとても「うらやましい」と思いながら見ていた、その彼女の努力が報われたのなら、喜ばしいことではあるが…。 「そうかぁ。なんだか寂しくなるなぁ」 「そうですね」 入江くんのことでは苦労させられっぱなしだった彼女も、これで最後となるとやはり彼女の姿が無くなるのは寂しいと思うようで、俺に相づちを返した。 なぜか、横にいた入江が、先ほど主任に向けた笑顔とは違う笑みで、楽しそうにその話を聞いていたのだけは気になったのだが。 その笑みの理由に気づいたのは、この十数分後に訪れるであろう、「入江夫妻」の再会の場面を目の当たりにしてからの事だった。 そうして、遠くにいたはずのライバルは、この地に戻ってきたのだった。 |
なかがき
ついに4回目!ここまでお読みいただきありがとうございます!!
えーと、今回の話は書くことより読み返す事に費やした回でした(笑)
(※ 詳しくは、すみれお様のサイト、01年12月ログ「清水主任の受難」を参照)
「恋文事変」と「賭の行方」や、「いつか…」と「言葉に…」のようなニアピン被りでなく
がっつり被っているエピなので、読み返さないわけにいかないわけで、
本気で間に合わないと思いました…orz
まだ未だにオチがふわふわしている駄目小説ですが(大丈夫か)
最後までおつきあいいただけると、ありがたいです。