西垣先生の憂鬱 4. 「へえ、西垣先生、大変な人の指導医になったんですねぇ」 「そう思うだろう?まったく」 夜勤のナースステーションで、思わずぼやいた。 くすくすと面白そうに看護師の田中くんが笑う。 人ごとだと思って…、俺のほうは、全く面白くないという風に、たばこを吸おうとして、空になった箱に気づいた。 「ああ、たばこが切れた。ちょっと買ってくるかな」 「ほどほどにしないと駄目ですよ、一応ナースステーションも禁煙なんですから」 「…まったく、喫煙者にはせま苦しい世の中だよ」 肩をすくめて逃げるように、ナースステーションの扉をくぐった。 消灯をとおに過ぎた病棟は、薄暗く、わずかな微灯が灯っているだけである。 すでに慣れた場所であるので、とくに懐中電灯も持たず、軽い足取りでいつもの自動販売機まで向かおうとした、のだが…。 「ん?」 ふと、自販機とは違う方向の、検査室の角を見た。 「今、人の声がしなかったかな?」 シン…、とした病棟の音、しかし、確かに人の声が聞こえた。 しかも女性だ。 「見回りの看護師かな。それとも病室を抜け出した患者?うーん」 どちらにしても、気にかかったので、たばこを一時あきらめて、声のする方を向いたときだった。 「しっ、西垣先生」 「…っ!?ほ、細井師長!?」 思わず大きくなった声に、あわてて自ら口をふさいだ。 「そんなに驚く事はないでしょう」 「いや、こんな暗がりで、師長に会えば、だれでも驚きますよ」 「それはどういう意味かしら」 「あ、いや、ははは…」 ごまかすように笑っていると、また女性の叫ぶ声が聞こえた。 『あー、なんでここがいっつも分かんないの〜っ』 その声は、じっと聞いていれば、どこかで聞いた声で。 「あの声、もしかして入江くんですか?」 「ええ」 ほとんど確信に近い問いかけに、細井師長は肯定を返してくれた。 「なんでまた、彼女がこんなところに。今日は夜勤じゃなかったでしょう?」 看護師の勤務表はばっちり把握済みである。 そんな俺に呆れてか、それとも彼女の行動力に感嘆してか、師長は息を吐いて笑うと。 「一刻も早く、旦那さんの元に駆けつけたいのでしょうね」 「え…」 「ああ、西垣先生はご存じないかもしれませんが、入江さんには神戸の医大で働いてらっしゃるご主人がいらして」 「いえ、それは聞いたことがあります」 「あら、そうでしたか。ええ、それで先日、入江さんの最近のドジについて一喝したんですよ。『このままじゃ、ご主人の迷惑になりかねません』ってね。そうしたら次の日からずっと、ああして病棟を1人残って覚えて回っているんです」 「ははあ、なるほど」 「猪突猛進なところもありますが、前向きなあの姿勢だけは、ほかの看護師にはない資質ですわね」 「ほほほ」と、どこか嬉しそうに師長が笑った。 俺も師長につられるように、離れた場所でいる入江くんの方をみて、笑った。 「いいなあ」 師長の言葉に、思わず漏れた言葉だった。 その言葉に、師長は少しだけ眉間を寄せた。 「西垣先生」 「はい?」 「あなたのお噂はかねがね聞こえてはいますが、入江さんは駄目ですよ。あの子にはすでに素敵なご主人がいらっしゃるのですから」 「やだなあ、師長。分かってますよそのくらい」 「そう…ですか。でしたらよろしいのですが」 少しの安堵をみせる細井師長に、俺は薄い笑みを返して答えてみせた。 |
なかがき
こ、今回もどうにか日付どおりに更新できました。
い、いつまで続くか、自分自身でドキドキしてます。
次回は大昔ネタが登場編。
そして(ようやく)入江くん登場です(笑)
第三回目、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。