夢か現か…

 

 

 

1.

 

 

「…も、もうだめ」

 

ナースステーションでぐったりとした琴子が、青い顔でそう呟く。

 

「ちょっと琴子、あんた顔が死んでるわよ」

 

桔梗がぎょっとした顔で机に突っ伏してる琴子に声をかける。

声に反応してピクリした琴子が顔を向けると、桔梗はギョッとした。

「ちょ、ちょっと!なに泣いてんのあんたっ!」

あまりに唐突に琴子が涙を流したので、慌てふためく桔梗。

「も、モトちゃん…っ」

青ざめた様子で、琴子は勢いよく桔梗に飛びつき

「あたし…、あたし…っ」

突然、抱きつかれよろめきながらも桔梗は

「どうしたのよ?またなんか失敗でもしたんでしょ」

やれやれと、琴子をなだめながらそう言うと、琴子は激しく首をふり

「違うの」

「じゃあ、どうしたってのよ」

「…今日でね、もう1週間なの」

「…なにがよ?」意味が分からず、眉をひそめ桔梗は聞き返すと、琴子は桔梗の胸倉を掴み

 

「あたし、あたし…っ、もう1週間も入江くんに会ってないのーーっ!!」

 

「同じ病院なのにどうしてっ!?」と叫ぶ琴子に…

 

「はあ?」

 

そのくらいしか桔梗の声は出なかった。

 

 

2.

 

 

「この一週間、見事に入江くんと勤務時間が完全にすれ違ってて…」

「ふーん」

なんだかんだ言いつつ、結局琴子の話を聞く羽目になった桔梗。

「いつもなら帰るとき、少しくらい入江くんの姿が見えるのに…」

「最近入江先生、手術続きだものねぇ…」

「そうなのっ、今日も入江くん、あたしと交代時間ぐらいに担当の患者さんの手術にかかってるし、明日は西垣先生の助手で手術するみたいだし」

「…あんた、入江先生に会ってない割に、やけに入江先生のスケジュールに詳しいわね」

どうでもよさそうに相槌を打っていた桔梗もさすがに突っ込みが入る。がそれを完全に無視し琴子は桔梗を見ると。

「モトちゃん、そこでお願いがっ!」

「だめよ」

即答で返す桔梗。

「まだ言ってないじゃないっ!」

「言わなくても分かるわよ、どーせ仕事の時間変わって欲しいっていうんでしょ」

「うっ、そーだけど…」

「あたしもう、ここ2週間先までのオフに予定入れてるもの、今更変更なんて出来るわけ無いでしょ」

そう言った桔梗にあからさまにがっくりくる琴子。

「そ、そんなぁ…、そこをなんとかならない?」

「ならない」

またも無下に断られ、琴子はパタリと机に倒れる。

 

そんな琴子に、ため息をついてあきれる桔梗は

 

「…まったく」

 

と呟いたのであった。

 

 

3.

 

 

あれから3日。

結局入江の連日手術のおかげで、今も入江に会えない日は記録更新中。

 

「ちょっと琴子さん!いつまで血圧測ってるの!?」

「え?わっ、すいませーんっ」

「きゃーーっ!それは血圧測定のじゃなくて点滴のでしょっ!」

「ええっ!?ひゃあっ!すいませーん、すいませーんっ!!」

 

いつものドジもすでにピークに達していた。

ここ数週間。外科はいつもにまして忙しく、入江が手術続きなのも、琴子がいつもに増して仕事量が多くなっているのもそのせいであった。

 

夜間――。

ふらふらと頼りない足で見回りから返ってきた琴子。

「あんた、ますます、すごい顔になってるわよ」

「…そう?」

同じ当直だった桔梗が冷や汗をかきながら琴子に言う。

琴子はそんな桔梗にもぼんやりと返事を返すだけで終わり

「見回り終わったんで、仮眠とって来ます」

そう言って、仮眠室に入っていった。

 

ここのところ入江にもずっと会えないどころか声すらまともに聞いていない状況で、あまり眠れない琴子だったが、その日はよっぽど疲れたのか、仮眠室につくなり泥のように眠りに落ちた…

 

 

『琴子――』

 

『入江くんっ!?』

10日ぶりの入江の声に驚く琴子。よく見ればそこは入江と琴子の部屋だった。

『あれ?あたし確かさっきまで…』

そこまで言って、琴子は結局思い出せなかったが、そんなことはどうでもよかった。

琴子は目の前にいる入江にめいっぱい抱きついた。

『入江くーんっ、会いたかったよーーっ』

久しぶりに感じた入江の体温に思わず涙が出そうなる。

入江もそんな琴子に手を回した。

『ったく、たかだか少し会わなかっただけだろ、おーげさなんだよ』

いつもの皮肉口調で琴子をため息をついてから、彼女のまぶたにキスをする。

『だって…、入江くんとほんとに会いたかったんだもん』

そう言ってしがみついた腕に力をこめる琴子。

どのくらいか…

しばらくして、入江が琴子が回していた腕を取った。

『い、入江くん…?』

『お前に、話があるんだ』

そう言うと、入江は琴子を体から離すと、どこからか現れた女の肩を抱いていた。

『え?』

おもわず呆然となる琴子。

『俺、お前と別れるよ』

そうして入江の横に居た女がペコリとお辞儀をした。

『結婚してたら一緒に入れる女のほうがいいしな、やっぱお前とは合わなかったみたい』

『え、そ、そんな…』

『それじゃーな、ま、おまえも自分に合う男捜すんだな』

そういって、琴子に背を向ける入江。

『まってーーっ!入江くんっ!!』

追いかける琴子、しかしいくら追いかけても、入江の背は小さくなっていくばかりであった。

 

『…や、入江くんっ、そんなの…』

 

 

 

「そんなの、いやーーーっ!!!」

 

ガバッ。飛び起きた琴子。

動悸が治まらず、まるで心臓の音がボリュームを上げたように自分の耳に響いている。

「ゆ、ゆめ…?」

嫌な汗をぬぐいながら、琴子が周囲を見渡すと、そこは自宅ではなく病院の仮眠室であった。

「よ、よかったぁ」

肩の力が一気に抜けた琴子。

 

「ええ…、それはよかったわね」

 

ぎくっ。

ホッとしたのもつかの間、さっきとは別の嫌な汗がこめかみに流れる。

琴子は静かに、声のするほうを見ると…

「し、清水主任…っ」

「おはよう、琴子さん。あなた今何時だとおもってるの?」

「えっ、もうこんな時間っ!?」

「そうです、もう“そんな時間”なの、分かったらとっとと起きて、昨日退院した方の個室の病室片付けてらっしゃいっ!」

「は、はいぃっ!!」

琴子は、まぶたに残ったキスの余韻も、悪夢の冷や汗もすっ飛ばし、清水主任の怒鳴り声とともに仮眠室から飛び出すのであった。

 

 

4.

 

 

「ほんと、何であんな夢みたんだろ…」

休むために取った仮眠で、よけいに疲労が増したような気がする琴子は、新品のシーツを運びながら、病室に向かっていた。

「それもこれも…、みーんな入江くんに会えないからよっ、だからあんな嫌な夢…」

そう言うと、さっきの夢を思い出し、わーっ、と琴子はシーツを抱きしめて叫びだす。

もちろん、歩きながらなので周りの視線が痛かったが、今の琴子は全く気づかない。

入江に会えないストレスも極限の琴子は、ひとしきり泣いた後、ずんずんと病室まで向かう。

 

「はぁ、今日もまた入江くんに会えないのかなぁ」

 

ため息をつく琴子。

そして、カチャリと病室のドアを開けると…

 

 

―――風が、琴子の頬をなでた。

 

 

病室のドアを開けた琴子の髪が部屋の窓から入る風で乱れた。

「ひゃっ…」

あわてて、髪を押さえる琴子。髪を整えながら、開けっ放しにしていた窓の方を見る―――。

「あ……っ」

 

春の陽光に当てられながら、琴子の目の前にいる人物の髪がなびいていた…。

琴子の目の前に、この一週間、会いたくてたまらなかった入江が、気持ちよさそうに、うたた寝していたのであった。

 

琴子は、その光景に思わず見とれた。

病室の椅子に座り、ベッドに体を預けるように眠る入江があまりに綺麗で、息さえ止めて、その光景を見つめた。

 

よほどこのところ仕事が忙しかったのだろう。

おそらく休憩がてらに空いている部屋で休憩を取るつもりが、寝不足と、窓から降りそそぐ日差しと風に心地よくなり、思わずうたたねをしてしまったのだ。病室のパイプ椅子は固い上に寝ずらい、それなのに入江は器用に椅子に腰掛けて眠っていた。

 

あまりに唐突に訪れた入江との再開に、言葉も忘れてぼうっとしていた琴子は、ようやく我に返ると。

「入江く…っ!」

と、嬉しくなって、思わず叫びそうになったが、慌てて口を塞いだ。

仕事が忙しくてあまり眠れない入江がこんなに気持ちよさそうに眠っているのに、起こすのはとても偲びなかった。

 

「入江くん…」

 

その代わり、空気に交じりそうなほどの小声で入江の名を呼ぶ琴子。

自然に琴子に笑みがこぼれてくる。

 

ほんとは起きて欲しい。

声だって聞きたいし、触れたい、けれど…

 

琴子は入江が起きないように、そうっと傍に近づくと、風に揺れ続ける入江の髪に唇を落とす

 

「あたしも頑張るね、入江くん」

 

 

琴子のエネルギー充填はそれだけで十分だった。

 

 

5.

 

 

403の患者さんのバイタルチェック終わりましたーーっ!」

ナースステーションに声高らかに伝える琴子。

思わず、みんながビクリとする。

「あ、次の回診の準備もしますね」

そう言って軽快足取りで歩く琴子に、桔梗は気持ち悪い物を見るように声をかけた。

「琴子、いきなりどうしちゃったのよ」

「あ、モトちゃん」

振り向いた琴子が笑顔で応えた。

「うふふ、実はね、あたし入江くんに会えたの」

どこでかは秘密だけど、と嬉しそうに言う琴子。

そんな琴子に桔梗はキョトンとして

 

「なんだ、琴子起きてたの?」

 

「へ?」

 

桔梗の唐突な言葉に目が点になる琴子。

 

「寝てたのは入江くんでしょ?」

 

「なにいってんの、あんた」

 

「いや、なにって…」

 

訳がわからず今度は琴子がキョトンしてるの桔梗は誇らしそうに

 

「昨日…あたしが入江先生にあんたのどん底っぷりを教えてあげたら、入江先生、あんたの様子見に来てくれたのよ」

 

「えええぇっ!?」

 

そんな事はもちろん初耳である。

 

「あんたその時、ちょうど寝てたから、あたし起こそうとしたら、『疲れてるから、起こさなくていい』ですって、ほんと優しいわねー入江先生。」

 

そう言って目がハートになりながら語る桔梗。それから首をかしげて

 

「それから20分くらい入江先生いたから、てっきりあんた起きたのかと思ったんだけど…」

 

あんた起きてなかったの?不思議そうに尋ねる桔梗

 

その話をぼうぜんと聞いていた琴子は、点になっていた目を見る見る輝かせた。

なんだか同じことをしてる自分たちに、笑いがこみ上げてきそうになる。

あんな悪夢を見たことがほんとにバカバカしいくらいに、琴子に満面の笑顔がよみがえった。

 

へらへらと一人で笑ってる琴子に、気味悪そうにする桔梗が「どうしたのよ」と尋ねると

 

 

琴子は含み笑いを押し殺して、一言いった。

 

 

 

「なんでもない、あたしと入江くんの秘密!」

 

 

 

 

 

 

完。

 

 

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