ニ オ イ ス ミ レ

    −恋愛発明家2−





うららかな春、容赦なく春。
白衣の女性は、立て付けの悪い自身の研究室の窓から、ぼんやりとした春の陽光を浴びてうたた寝をしていた。


コンコン。


「はーかーせー、いる?」

玄関からそうっと忍び寄って、静かに開けたドアの隙間からは綺麗に脱色された金髪。
裾を巻いているので、中の様子を見ようと伺うだけで、その髪はふわふわと揺れた。

「はーかー・・・あれ、なんだ寝てるの?こんなところで寝たらあぶないよー」

やはりどこか挙動不審気味に、びくびくしながらそうっと扉を閉めて、丸椅子で窓枠にもたれかかって眠る白衣の女性に近づいた。

「玲奈さん」
「うひゃ…んぐっ」

背後から呼びかけられ、驚くままに声を上げようとした玲奈は、それをあっさり遮られた。
玲奈の口をふさいだのは大きな手のひら。
しかし、それは普通の人間ではない熱を玲奈に伝えていた。

「ん、んん〜、んむんん〜っ!!」

もがいてもはがれない手に、呼吸を取り戻すため必死になって背後にいるであろう人物に身じろぎで訴えるが、どうやら通じていないらしい。

「んん〜っ!!」
「私の家で、私の友人を窒息死させる気か。その手を離しなさい」

隣で、久しぶりに聞く友人の声が、玲奈の命をすくった。
即座に離された手のひらに、玲奈はあらん限りに呼吸を堪能した。

「ま、マーシー…、酷いじゃない」

呼吸困難のため、思わず涙目になって振り向けば、予想通り。
まるで人間のような機械、マシーナリーエージェント1.0(ただし、みんな面倒くさがってマーシーと呼ぶ)の姿があった。
マーシーは、一月前に見た相変わらずの綺麗な笑顔で、しゃあしゃあと言ってのけた。

「申し訳ありません、玲奈さん。博士に『小一時間休むから、邪魔をしないように』とお願いされまして」
「まちなさい、それじゃあ悪いのは私になるだろう。だいいち、邪魔をするなと言ったのは君たいしてだ、勝手に拡大解釈をするな」
「博士、そのお願いを私限定とするためには、主語が抜けています。拡大解釈ではなく、博士の説明不足ではないでしょうか」
「うるさい、そのくらい理解しなさい、なんのために頭があるんだ」
「ですが、その私の頭脳を作られたのは博…」

「あーもー、いーかげんにしなさーい!」

机をたたいて、2人の言い争いを妨げたのは、先ほど命からがら解放された玲奈。

「2人とも、喧嘩はだめっ!せっかく久しぶりに会いに来たのに、仲良くしてよね!」

まったくもうっ、と綺麗に整えられた眉をつり上げ、2人を諭してみたが、

「…そういえば、私たちも喧嘩したのじゃなかったかな、玲奈さん」

ぎくり。

「い、う、いや、あれは博士が勝手に怒っただけで…しょ」
「ふーん、そうだね、玲奈さんに自分の発明を18禁呼ばわりされて、馬鹿笑いされて、それでも怒る私が勝手なんだよね」
「分かった、分かりました、私です。私が悪いと思います。ごめんなさい」

降参しました、そういう風に玲奈は博士に両手を合わせて頭を下げた。
その姿に、博士は面白そうに見ると、じわりと口元に笑みを浮かせた。

「うん、もう怒ってないよ。だから玲奈さん、はい」

そういって、タプンと玲奈の前に表れたのはビーカーに入ったうす紫色の液体。

「ん、んん?博士これは何?こないだもらったセイリョ…なんとかなの?」

目の前に差し出され、玲奈はとりあえず受け取った玲奈。
それをみて、博士は満足そうにうなずくと「清涼飲料水のこと?ちがうよこれは」と否定して、満面の笑みで答えた。

「それはね、玲奈さん。惚れ薬だよ」
「………へ」

唖然。いや、なんていうか、絶句。まあどちらでも玲奈にとってはあまり代わり無く。
言葉もなく、博士と手にある液体を見比べた。え、なに、惚れ?え、なんて??

「さっ、マーシー、玲奈さんの前に立って」

心なしか、弾んだような博士の声が遠くから聞こえる。
そして、不思議そうにしているマーシーが玲奈の目の前まで引き出された。
相も変わらず、玲奈の理想の彼氏像をしたマーシーと、手の中の液体とを今度は見比べる。

そして、惚けた玲奈に向かって博士は嬉しそうに、お願いをする。

「さ、玲奈さん。飲んでみて、マーシーに恋してみようか」
「どえええぇぇっ!!?」

マーシーの前から数メートル離れる勢いで飛び退る。

「は、博士!?本気で言ってるの」
「ん?本気って、惚れ薬のこと?マーシーが実験相手ってこと?それとも…」
「どっちもよ!」
「それなら、どちらも本気だよ、まあ、マーシーが相手というのが不服なら仕方ない、それならそうだな…ああ、私でもいいけれど」
「…マーシーでいいです、いや不毛っていうんなら、どっちも不毛なんだけど、でもどっちかって言うならマーシーでお願いします」
「そう?なら飲んでみて」
「え、もうなに、これ私飲むの決まってるの?決まっちゃってる感じ?」
「だって、玲奈さんには前回のマーシーの貸し、まだ返してもらってないし」
「謝ったじゃないっ!」
「貸しは貸し、一回は一回ってことで」
「ええ〜、ていうか、博士が飲まないのコレ」

実験につきあわされること幾数回、しかし玲奈はかつて無いほど焦りを感じて最後の悪あがきをした。

(だって、だって、だって!こんなので好きになるのはなんだか違うものっ)

しかし、博士は玲奈の言葉に、ふっと微笑した。

「私では、無理なんだ」
「なんでっ!」
「まあ、何でという説明は後にしよう。それよりも、まずコレをこめかみにつけて、あと、コレを手首に巻いてね」

そういって、勝手に玲奈を引っ張り、妙なディスプレイの並ぶ機械の前へ座らせると、ペタペタと機械から流れるコードを玲奈に貼り付けていく。

「よし準備万端、さあ玲奈さん一気にどうぞ」
「一気って、居酒屋のノリじゃないんだから」

タプンと、うす紫色の液体はどこまでも怪しく色めいている。
ゴクリ、と生唾を飲む玲奈。目の前にはいまいち『惚れ薬』が分かっていない機械の青年。

(だ、大丈夫、私の気持ちはいくらなんでもそんな薬一つで移っちゃうほどチャランポランじゃないわよ。うん、それにいつものように、博士の失敗作かもしれないし、ていうか、きっとそう、そうであって欲しいっ!)

ええい、ままよ!!

玲奈は勢いのまま、そのビーカーを口に運んだ。
どろりとした濃い花の香りと、焼け付くような熱さが、喉を刺激する。
思わず玲奈はかけていたパイプ椅子から立ち上がると、あまりの刺激によろめいた。

「うげ、ごほっ、な、なにこれ…」
「大丈夫ですか、玲奈さん」

よろけた玲奈を助けたマーシーの声が側に聞こえ、思わずびくりとして、顔が熱くなるのが分かる。

「博士…玲奈さんの心拍数が著しく上昇しています。彼女に一体何を飲ませたのでしょうか」
「………毒ではない、はずだよ」

少しあきれたように、だが、実験の結果に満足したように笑って、博士は玲奈の肩を叩いた。

「気分はどう?」
「…さいてー」

恥ずかしくて、顔が上げられない。自分の顔がどんなに赤くなってるか自覚できるほどだ。
体中あつくてどうしようもない。支えるために抱きしめてくれている、マーシーの熱がそのまま伝わっているみたいだ。
どきどきする、どきどきして、マーシーが心配そうに掛ける声にすら、恥ずかしくて答えられない。

(そりゃ、マーシーは好きよ、でも、そんなんじゃなくて…、こんな風に、ていうかこんなの納得できない)

「こんなの、絶対やだあ!博士、なんとかしてーっ」

ぱあんっ!

玲奈が叫んだ瞬間、大きく博士が手を打った。
びっくりして、思わず顔を上げる玲奈、そしてマーシー。
そんな2人に、弱ったように首をかしげ博士はほほえんだ。

「はい、実験終了。もう大丈夫だよ、玲奈さん」
「へっ?」

ただただ、惚けて。
玲奈は博士を見詰めた。





「えーとね、つまり偽薬だったんだ」
「ぎやく?って何??」

落ち着きを取り戻させるために、玲奈はマーシーに頼んで入れてもらった紅茶をすすりながら訪ねる。
博士はさすがに、困ったように玲奈をみると、あきらめて言った。

「要するに、あの液体はただのバイオレットリキュール、お酒だよ」
「ちょっ!?どういうこと、博士!?」

思わず、乱暴に紅茶の入った茶碗を打った。
博士は、ある程度覚悟の上だったのか、その様子を一瞥し、落ち着いて話し始めた。

「いや、玲奈さんが来る2,3日前かな、以前に玲奈さんから借りた文献でちょっと興味深いことを見たものだから」
「文献?私が貸したって、それって恋愛小説のこと?」
「ああ、そうなのかな」
「そうなのよ。で、なにが興味深かったの?」
「恋愛は…、錯覚ってところかな」
「はあ?」

博士は、隣にいるマーシーを見て、そして玲奈を見た。

「錯覚、まあつまり思い違いや、それによる、気持ちの刷り込みというところかなあ。恋という感情はまれにそういった現象から生まれるということを書いていてね、ちょっと試してみたくなったんだ」

その説明を聞いて、再び顔が赤くなったのは玲奈。

「ちょ、って、え?それって、もしかして、さっきの私ってものすごく馬鹿なんじゃないの?」
「いや、まさか、あそこまでうまくいくとは思わなくて」
「えええええぇぇぇっ!!!」

そう叫んで、思い切りよく立ち上がり、博士を指さす。

「酷い!酷いわよ博士!!」

すると、博士はついに、とでも言うように気持ちよく笑い出した。

「わ、笑い事じゃないわよ!私がどんなに不安だったか、どんなに恥ずかしかったか、分かってるの!?」
「い、いや、だって思い出してもおかしくて…」
「思い、だすなーーーっ!!って、あ、もしかして博士、やっぱりこのあいだのことまだ怒って…」

はたと気づいた、一つの思いつき。だが、次の博士の笑みで、思いつきは確信に変わった。

「…もう怒ってはないよ。でも、一回は一回だと思わないだろうか?」
「は、博士の、馬鹿――っ!」

涙目になりながら、楽しそうに笑う博士に、玲奈は悔しそうに握り拳を作り、自分のバッグを手に取って、研究室の玄関から飛び出した。
出て行く玲奈を立て付けの悪い窓から眺め、まだ笑いを押さえきれない博士に、隣から暖かい紅茶が差し出された。

「ああ、ありがとうマーシー」
「博士は、どうしてご自身で試されなかったのですか」

聞かれた質問に思わずきょとんとして、マーシーを見詰めた。
そして、皮肉げに口をゆがめると、

「偽薬とは、偽薬と知らずに飲むから効果があるんだ。それにだね、私には恋というモノが分からない。分からない人間に錯覚は起こせないんだよ」
「そうですか」

納得したのか、はたまたただの相づちなのか、表情の変わらないマーシーの心中など分かりはしなかったが。
紅茶から漂う甘い花の香りに、味音痴の博士は、ただ微笑みながら飲み干した。









【バイオレット・リキュール】
17世紀当時媚薬の酒として生まれたリキュール。
ニオイスミレやバニラ、バラなどので香り付けされていることから、飲む香水ともいわれる。



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