薄暗い、病院のロビー
深夜には明かりが灯されない、ほのかに光る外の該当の明かりだけが唯一の光源だ。
そのロビーで、彼は、入江直樹は一人タバコを吸っていた。
彼の吐く息から、薄い紫煙が立ちこめる。
入江はその煙の様子をずっと眺めていた。
コツン。
ふと、廊下の先から人が入ってきた。琴子だ――
その姿を、入江は確認すると、タバコを隣にある灰皿に押し消した。
入江は自分がいま、どんな顔をしているか分からない。
しかし、目の前にいる琴子は、今にも泣きそうである。
琴子は、それでも我慢するように
「入江くん…、正一くんのお化粧、終わったよ」
「そうか…」
入江はそれだけ言うと、琴子のほうから目を離し正面に向かったままずっと、黙り続けた。
―今日、いや、昨日の夜。一人の患者が亡くなった。
加藤正一。
まだ、9歳の少年が、治療の甲斐もなく死んでいった…
そして、それは入江にとって初めての担当の患者だった―――
長い…、二人の間に長い沈黙が訪れる――
そして
「あの子、お前にはよくなついてたな」
最初に言葉を発したのは、入江だった。
その言葉を聞いた瞬間―
琴子の中の正一の思い出が走馬灯のように駆け巡り、ついに琴子はこらえていた涙を抑えきれなくなった。
…っふ、うぇっ、っ…、ぐすっ…
必死に、こらえるように泣く琴子を、入江は、そっと抱き寄せると。
「おまえらしくねーな、…泣きたいときは、泣けよ」
「だ、だって、入江くんが泣いてないのに…。入江くんが一番悲しいのに…、あたしが泣いたら、入江くん励ます人いなくなるもん」
そう言うと、琴子は必死に涙をぬぐい、入江のほうを見つめる。と、
「俺は、泣けない」
「え?」
突然の言葉に驚く琴子。
「いままで、泣いた事なんて一度もないよ」
入江はそう言うと、琴子の涙をぬぐうように指で掬う。
そして、フッと、目では、笑わない、口だけを動かした笑みを琴子に向けて
「きっと、俺が、ほかの奴らの言うように『冷血人間』だから、だろーな」
そう言うと
「そんなことないっ!!」
ダンっ、と入江の胸を両手で叩く琴子
「入江くん、泣いてるじゃない、だけど、だけど…、入江くんは強いからっ、みんなよりも、ずっとずっとずーーっと心が強いから、だから…っ」
はあ、はあ、と、息を切らし、涙をぼろぼろ流しながら琴子は入江に怒鳴り散らす。
そして、入江にめいいっぱい抱きつくと。
「あたしが、いっぱい、泣くから…、入江くんの代わりにうんと泣いてあげるからっ…」
入江くんのはじめての患者さんは、よく笑う元気のいい子だった――
入江くんは、あたしによくなついてたっていったけど、ホントは入江くんに一番になついてたのだ…
入江くんが悲しくないわけなんてない、きっと、入江くんは自分の事が悔しくって、悔しすぎて、泣く事が出来ないだけなんだから。
琴子は、ここが病院のロビーだと言う事も、深夜だと言う事も忘れ、わき目もふらず泣き喚いた。
そして、入江は、琴子が泣きやんで、泣きつかれて眠るまで、ずっと彼女の髪をなでていた……
***
泣きつかれて、眠る琴子を、入江はロビーのベンチに、自分の膝を枕にしてに寝かしてやる。
まだ、先ほどの名残で残っている涙を琴子の目からぬぐい、涙でべとべとになった髪の毛を整えてやる。
そして琴子の、涙で化粧は取れ、鼻水もでて、まぶたはこれでもかと言うほど腫れ上がっている顔を見て、入江はボソッと
「ぶっさいくな面」
と、呟いた。
でも、それでも愛しい。と思う自分がいる。
泣けない――そう言った入江に、琴子は『強いからっ』と入江を励まし、『入江くんの代わりに泣くから…』と言って泣いた。
そんな琴子が愛しかった――
恐らく一生、口にすることのない言葉が、入江の胸の中に広がった。
それは、言葉にすると安っぽすぎて、琴子には一度も言ってやってないけど
言葉になんて一生出す気もないけど…
そっ…
と、入江は琴子の耳に唇を寄せると
愛してる…
言葉にならない…、唇だけの動作で入江はそれを紡ぐと
ぺろっ、と琴子の耳たぶをなめた。
「っひゃあ!!」
「やっぱ、起きてたのかよ」
寝起きのわりに、すばやい動きの琴子をみて、半眼で呟く入江。
すると、ばつの悪そうに言い訳をする琴子
「と、途中までは、ホントに寝てたのよ。でも、目が覚めたら、入江くんの膝の上で…、だから、もうちょっとくらい、寝てようかなーなんて…」
「ったく」
入江はそう言って、あきれたように、ため息をつく。
こんなどうしようもない女、どうして愛してるのか、自分でも分からない。
そして、いまだ入江の顔をうかがう、琴子に
入江は、言葉にならないコトバの代わりに、いつもと同じ言葉を使った。
「バーカ」
そうして、いつもと同じように、怒ったり、笑ったりする琴子をからかうのだった。
完
あとがき
・・・・・さぶッ。
たぶん、soroの書いたもんの中で一番、寒いモノとなるお話。(笑)
とりあえず、書いてる途中で3回は、Wordの電源をとっさに切ってしまいました(なら書くなよ、んなもん)
気がついたんですが、入江くんって「好き」は言うけど「愛してる」は言った事ないなーって。
と、そんなことを考えてたら、書いてしまっていたこのお話(^^;
…やっぱ、止めときゃよかったかも(涙)
も、もし、最後まで読まれた方がいらっしゃるなら…、ほんと、うれしーですvv
ここまで呼んでくださり、ありがとうございました☆
5/14/2003