一握の願い 
*星の向こう*
 






1.

黄周(こうしゅう)という国がある。齢3000年の長き歴史を誇ったその国に、一人の美姫がいた。黒の輝石、至高の皇女と呼ばれたその姫に、だれもがその美貌と知己に頭を垂れ、どこまでも伸びゆく流れる黒髪に見惚れないものはいなかった。
誰もが姫という地位にかしずき、誰もが自分の容姿にほほを染めた。
そして、姫の父親である国王も、民も、皆がその姫の望むと思っているものを彼女にたくさん、たくさん差し出した。
けれど、その贈り物たちを見て、ため息をつく姫君。
そしてその贈り物たちには目もくれず。
その贈り物の脇をかき分けて、ひときわ奥にある小さな棚を開けると、彼女はその瞳を輝かせた。

そして、姫は一人、窓の外へとそそくさと歩いていく。

2.


――あんたの願いをかなえてやるよ、命と引き換えにな。

私の目の前で少年がそう囁いた。

――さあ、考えろ。

その時、私は少年の言葉にとても感動したのだ。


3.

星の海を泳いでるかのように、闇夜の空にぷかぷかと浮く一人の影。
白銀の髪に、青い瞳。およそこのあたりの地域では見かけぬ変わった服装の少年であった。
そのおよそ人の力ではできることのないことをやってのける少年に少女は見入っていた。
少女の年のころは14歳。長い黒髪は踝まで届いており、それを無造作に投げ出していた。
吹けば跳ぶような細い体に、小さくてクルリとした鳶色の瞳の顔がちょんと乗っている。紛れもなく彼女は美少女であった。その彼女の瞳は生き生きと輝き、目の前の少年に注がれていた。
「すごいな、どうやったらそんな風に飛べるのかぜひ教えてほしい」
テラスのふちに肘かけた腕を上げてその少年の方に身を乗り出すと、少年はあわてて私の方に叫んできた。
「ちょ、ちょっと、危ない、危ないって!あんたには無理無理。だってあんたただの人だろ、俺は魔法使い。だから無理なんだって!って言ってるそばから飛びつくなって!」
そう言って少年は自分を興味深々で見ている少女の前に降り立った。
「ったく、俺が契約する前に死なれちゃ、元も子もないってのに」
「うん?そういえば先ほどなにかいってたな」
「聞いてなかったのかよ!」
「いや、しっかり聞いていた。私の願いをかなえてくれるんだろう」
淡々と少女は言いながら、テラスに降りてきた少年の体をあちこちまさぐった。
「……なぁ、なにしてんだ、あんた」
「いや、どこかにユイワンチョウのような羽でも生えてるのかと思って」
「ユイ…?なんだそれ」
「国鳥だ。すごく大きくて白い。国の唯(ユイ)一(ワン)羽の鳥という意味の鳥だそうだ」
少年の背中を撫で回したがやはりそんな羽はなかった。
「すごいな、どうやって今飛んでいたのだ?もう一度みせてくれ」
少女は翡翠色の薄い緑の目を少年に向けて言うと、少年はうんざりしたように。
「やっぱり人の話、聞いてねーだろ」
「そういえば魔法で飛んだといっていたな、ならば魔法を教えてくれ」
「そうじゃなくて、願い事を言えってことだよ」
「だから、それだ。魔法を教えてくれ」
彼女の言葉に少年は耳を疑った。そうして、じっくり意味を租借すると、眉根をよせ
「いや無理」
と、きっぱりといった。
「何でだ」
納得のいかないように少女は頬を膨らませた。
「あんたの命と引き換えなの。死んだら教えるも何も無いだろうが」
「なんだ、先払いなのか。ケチだな」
「どっちにしても、教えたところで死んじまったら意味無いだろ、大体ケチってなんだ、ケチって」
怒った風に少年が言うと、また数十センチ空に浮いた。
「そんなのじゃなくて、もっと他に考えろ。望みを言え」
空に浮いて一回転すると、少年は少女に自分の顔を突き出した。
横暴な物言いに、怒るかと思った少女の顔は目を見開き、大きな瞳で少年を見てこう言った。
「私はいま、とても感動した。なぁ抱きついてもいいかな」
「え、なんでだ?」
少年は少女からちょっとだけ体を遠ざけた。

4.

「唯蓮(ゆいれん)、そんなところにいたのか。もう遅い、体を冷やして明日の公務にさし触ったらどうする、早く眠りなさい」
テラスの扉から、壮年の男が姿を見せていた。
黒の絹地に赤と緑の宝石がちりばめられた豪奢な着物。生地には金の刺繍が細かく施されていた。
年のころは40歳ほど、艶やかな黒髪と、綺麗にそろえられている髭。男はこの国の王だった。
「父上。今そこに男の子が」
空に指差した少女、唯蓮と呼ばれた少女の言葉に国王は心底顔を青くした。
「なに、男だと!近衛兵、でてこい曲者だ、姫の寝所に男が入りおった」
「え、父上?そういう事ではなくて」
なにか大事になりそうな予感がする。そんな気がして、国王に静止の声をかけようと手を伸ばした唯蓮。
しかし、その手を逆に国王につかまれた。
「おお、怖かっただろう。何もされなかったか、唯蓮。すぐにお前の寝所に忍び込んだ曲者を縛り首にして見せるゆえ、いましばらく待っていなさい」
「縛り首!?」
「そうとも、当たり前であろう?お前はこの国の宝石。黒の輝石。ゆくゆくはこの国をより繁栄に導く大国の王子の后になる娘ではないか、その姫に手を出そうなど、縛り首、いや体など100に切り刻んだところで許されるわけが無い」
国王の言葉に唯蓮は国王から手を解き、首をがくりと垂れた。長いくるぶしまで届く長い髪がゆらゆらと揺れる。
―大国の姫君―黒の輝石―唯蓮―。とても聞きなれた言葉だ。とてもうんざりする位に。

『…――あんた』

そんな風に呼ばれたのは初めてで、本当にびっくりした。
不快な気分ではなかった。むしろ、親しみがあふれたような心地よい響きに聞こえた。

そして

ふと、思いついたように、唯蓮は
「父上、私の考えを聞いてくれますか」
「いや、お前は考えなくてもよろしい。姫は考えてはいけない、静かに、しとやかに、そこに座って皆に微笑んであげなさい」
「ですが、父上」
「口答えも、するものではないな」

ほら、だから驚くんだ。

今はもういない、空にとけた赤髪の少年魔法使いに、微笑んだ。

考えろ、そして望め

そう言った少年を思い出して。
そして、やっぱり抱きつきたいと思った。
きっと、とてもいやな顔をするのだろう、とも思いながら。


5.

「いやー、びっくりしたのなんのって。あんたこの国の姫さんだったのかよ」
「なんだ、気づいてなかったのか」
昨日とまるきり同じ場所、同じ時間。
二人はテラスのふちで、一人は柱に寄りかかり、一人はやはりふわふわと空に浮いて会話していた。
「そうは言ってもな、どうして分かるってんだ。あんたのその姿をみて」
ぴ、と指をさして、少年は口を尖らせた。
少女の格好は白いラフな寝巻き姿である。どうということの無い姿であるが、絹はどうひいきに見ても上等の代物だった。
「そうじゃなくて、そっちのほう」
「ん、もしかしてこれか?」
カチンと石器の音を鳴らして少年に差し出す唯蓮。
小さな白の器に、透明な液体が並々と注がれていた。
「どこの姫さんが、夜中に一人で晩酌してると思うんだよ」
「相手がいないんだ、仕方ないだろう」
「そうじゃなくて」
差し出された、器の酒を受け取り飲み干す少年。
「あ、これ旨いな」
「だろう!侍女がこっそり国倉からくすねて来たものを、私がこっそりくすねてみた」
「ますます、あんた姫なのかよ」
「残念なことに。ああそうだ、それから私のことは姫と呼ぶな。わたしは”あんた”がいい」
「はぁ?」
「いいから、そう呼べ。そうか、それが『願い事』でもいいな」
「あんた、俺をからかってんのか」
「いいや、まったく。本気で言っているのだが」
心底本気で言っているのに、なぜかますます柳眉を上げた少年の手から杯を奪うと、また並々とそれに酒をそそいだ。
「ああ旨い。なぜ皆、こんなに旨いものを私から取り上げようとするのだろう」
「そりゃあ、姫君が酒飲みなんて、国の自慢にもなりゃしないからなぁ」
「自慢か、自慢なぁ」
「ましてやあんた、あの黒の輝石だって言うじゃないか、そりゃ、もうちっと気取ってお姫様らしくしてなきゃ、みんながっくりくるぜ」
「がっくりか、がっくりするのか、それは…いいな」
「…もしかして、おまえ酔ってる?」
「酔ってなんか無いぞ。ほら、こんなにも楽しいというのに」
そういうと、唯蓮はふらふらとテラスの柵をよじ登った。
「お、おいっ!危ないって、こら聞けよ人の話を、この酔っ払い!」
はらはらしながら少年が叫ぶと、唯蓮はよじ登った柵からふらふらと綱渡りのように歩き出した。
「だから、酔ってない証拠を見せてやろうというのだ。ほらみろこのとおり落ちずに歩け………あ、落ちた」
「わーーーーっ!!!!」
柵からほんの少し足がずれ、頭から落下する少女。
テラスは建物の3階にあり、地面も芝生が茂っていたが、それでも大怪我をするのは必死だった。
唯蓮より高い位置で浮いていた少年は急速に地面に向かっておりて、彼女をすんでのところで捕らえた。
「あ、あ、あぶねーだろ、なに考えてんだあんた」
「意外とスリルがあった」
「んなこと考えてるな!もうちょっとで大怪我するところだったんだぞ」
ふわふわと浮きながら、唯蓮を離さないようにがっちりと抱き上げる少年。
「大丈夫だ」
「なにが?」
そんな少年の体を自分の方もギュウを抱きしめた。念願かなったりである。
「ここに、優秀なとび職人がいるのに怪我なんてするわけが無い」
「あ、てめ。確信犯かこいつ。というか、とび職人て、意味が違うだろ」
再び少年は空を上昇した。先ほどのテラスに戻るために。
空は瞬く間に上へ上へと向かっていく。
「これが、空を飛ぶというものか。気持ちいいものだな」
風に煽られて広がる黒髪は、どこまでも空に溶けていきそうである。
「そうかな、あんた達が歩くのと同じだよ。それが無いと酷く不便で、困難だと思うって事を含めてさ。ほんとに大差が無い」
「だとしても、うらやましい限りだ」
唯蓮はそう言うと。遥か遠い空を眺めた。
「…どこか、行きたいところでもあるのか」
眺める少女の様子に、ふと尋ねてみた少年。
唯蓮はかすかに首を振ると
「どこか、なんて私は知らない。知るすべが無いのだ。あるとすればそうだな、あの星の向こうには何があるのか、それが知りたい」

少女の言葉に、少しだけ眉をひそめた少年は、彼女と同じ空の向こうを見上げて、言った。

「星の向こうなんてないさ。星は何処までも続いてるんだ」

それはいいな。

少年の言葉を聴いて唯蓮はそう思った。


6.


「化け物め、娘を返してもらおうか」
テラスまで上がってきた二人の前には数え切れないほどの衛兵と近衛と…
「ち、父上」
あわてて、少年の腕からテラスに飛び降り、唯蓮は取り繕うとした。
「このものは、決して怪しいものではありません」
「怪しいか、怪しくないかだと!?唯蓮、お前はこのものにどう誑かされたのだ。これは、人ではない、異形の物だ」
国王が口を閉じると同時に、一つの弓矢が唯蓮の頭上を越えて走った。
「なっ!」
少年に狙いを定めた弓が走ったのだ。
あまりのことに唯蓮は少年のほうに向かおうとしたが、瞬間に、近衛の腕に捕まえられた。
「離せっ、離しなさい!」
近衛を振り回しながら、少年の肩口が赤く染まったのが唯蓮の目に映った。
「…ぁ、や、やめてっ!父上、止めてください。あの血が見えないのですか、あの赤い血が!彼は人です!」
「だからどうだというのだ、昨晩も言ったはずだ、そなたに手を出そうとする輩は100刻んでも事足りぬ」
「なぜです、私が許しているものを!」
「お前の許しなど関係ない」
断固とした言葉が、唯蓮に冷たくのしかかった。
「それに見ろ、まだああして宙に浮いておる。あれが異形でなくてなんだというのだ」
すでに、少年の体には幾本の矢が突き刺さり、赤い血は宙に浮いた彼の足元にぽたぽたと落ちていた。
「あ…、な、なんで逃げないんだ。早く逃げろ!」
昨日は飄々といつのまにか消えていた魔法使いが、今もなおそのままでいるのに、唯蓮は逆に憤りをかんじた。
すると、少年はその言葉に顔をあげ、唯蓮を見ると。
両手を挙げた。

「あー、ごめん俺、電池切れ。降参するから殺さないでほしいな」

そうして、テラスに降り立った。

彼の足元の血だまりが跳んで、跳ねた―――。

7.

「お願いです、父上。彼を殺さないで欲しい」
翌日。国王の会議中の会議室に、唯蓮は飛び込むようにして入っていくと、父の前でそう言って頭を下げた。
突然に唯蓮が現れたことで、国王はつい頬が緩むが、彼女の言葉を聴いたとたん、とたんに表情が厳しくなった。
「ならぬ、あれは決議で処刑が決まっておる」
「私の大切な友達です」
「ますます許しがたい。あのようなものと近づくなとあれほど言ったのにまだ分からないのか。そなたには他にもっとふさわしいものが居るだろう」
ぎり…と、唯蓮は歯噛みした。
ふさわしい、ふさわしいとは一体だれが決めるのだ。自分にふさわしいか、そうでないかなど誰かが決めてしまえるものなのか。
「唯蓮、今は会議中なのだ。すまんがそなたのかんしゃくを聞く気はないのだよ、あれのことはもう諦めなさい。これ以上私を失望させないでおくれ」

パタン、と少女の目の前で扉が閉ざされた。

金を散りばめたような星空、穏やかな風が吹き抜ける回廊で、一人取り残された唯蓮。

「あっけないものだな」

ぼそり、と彼女はつぶやいた。
国王の最後の言葉を反芻する。
これ以上失望させるな、と。国王はそう言った。
「なんだ、これくらいのことで私は失望されるのか」
吐き出すように空笑いする。途中で涙がこみ上げてきた。
『…もうちっと気取ってお姫様らしくしてなきゃ、みんながっくりくるぜ』
少年の言葉がいつの間にか頭の中に浮かんできた。
そう、そんなことでがっくりするくらいならば、すればいいと。本気で思った。
空が好きで、酒が好きで、一緒に飲み交わす奴がいてうれしいと思うことが黒の輝石らしくないといわれるのであれば、そんなものに縋りたくはないと。

「なぁ、魔法使い。今気づいたよ」

コツコツと靴をならして、少女は向かった。

「お前の名前を、私は聞いていないって事に」


魔法使いの少年の下へと少女は向かった。

彼女の上で石造のユイワンチョウが羽を広げ、雄雄しく見つめていた。


8.

そろそろと、彼が閉じ込められているであろう地下牢まできた唯蓮。
「さて、どうしたものか」
牢の入り口の目の前には近衛兵が2人。
頭をひねるが、何も考えずにここまできたので、まさかこんなところで足止めを食らうとは思ってもいなかった。
「うーん」
とりあえず唯蓮は自分の手持ちの荷物をさぐった。
でてきたのは、もしものときにと、持ってきた果物ナイフ。それに手紙を書く半紙と筆、そして
「しまった、つい条件反射で酒まで持ってきてしまった」
かなり度数の高い酒が一瓶あるだけだった。しかし、しばらくそれを眺めていると
「ん、そうか、まてよ。もしうまくいけば…」
そうして、何かを思いついた唯蓮。

そのまま、笑顔で近衛たちのほうへと進んでいった。

数時間後。

「…まさか、こうもたやすくいくとは思わなかった」
酔いつぶれて眠りこけた近衛兵たちにあきれ混じりにそうつぶやいた。
先ほど、唯蓮は『最後にあの魔法使いにこの酒を飲ませてやってほしい』そう言って近衛たちに言い、近衛は笑顔で承ったのである。しかし、案の定。彼に届けるはずの酒はこうして近衛たちの胃袋の中へと流れていったのであった。
「うまくいったはずなのに、なぜだかちっとも嬉しくないな」
自分の大好物の酒があっけなく空になったのを見ると、唯蓮は少しだけ切なくなった。
「いや、しかし急がなければ。いつ目が覚めるか分からないし、誰かが来るとも限らないからな」
酒に対する未練は捨てて、唯蓮は牢屋の方の見た。
「まっていろ、魔法使い。今、助けにいくからな」
近衛から掠め取った鍵を握り締めて。

普通、こういう時は逆じゃないだろうか、とか考えてみたりした。


11.

染み付いた湿気と汚臭の匂いがむっとするほど篭っていた。
牢の扉を開けた瞬間、何より鼻についた血の匂いに、唯蓮は鼻にしわを寄せて、顔をしかめた。
こんなところに、なぜ彼が閉じ込めなければならないのか。
自分のせいだと、そう思うとやりきれなさと、すまなささと、どうしようもなさで泣きなくなったが、そうはしている時間は無かった。
牢をひとつひとつ確かめる余裕などない。あせったところで、無数にある牢は何も語ってはくれない。
「魔法使い!お願いだ返事をしてくれ!」
呼んでみる。しかし、声は返ってこなかった。
「ああもう、これでこの場所じゃなかったら私は丸損だぞ」
そう言いながら、唯蓮は魔法使いを呼び続けた。
ピチッ。
何かが落ちる音がした。
はっとして、唯蓮はその方を向くと、よく耳を澄ませば、それは水滴の落ちる音だった。
魔法使いの、血の―――。
「魔法使い!そこか、そこだな!待ってろ!」
今の場所より少し奥で聞こえたその音の元に駆け出す、唯蓮。
そうして、たどり着いたその牢の前で、唯連はあまりのことに呆然と立ち尽くした。
「ど、どうして…、だ、だれが、こんなこと…っ!」
唯蓮はその少年の柵にしがみついて、立ち尽くした。
湿った場所だというのに、のどがカラカラになる。
何かを口に出そうとしても、息をすることで精一杯だった。
柵越しに見たその少年に、泣くまいとこらえていた涙があふれて、どうしようも無い。
「すまない、すまない、わたっ、私の…せいだ」

願わなければよかったのか。

空が跳びたいと、
魔法を知りたいと、
友が欲しいと、
星の向こうが見たいと、
抱きしめたい、人がいるなどと…

チャラ、と鉄のこすれる音と共に、1日前と変わらぬ聞きなれた声が唯蓮の耳に聞こえた
「なんだあんた、奇遇だな。まさかこんなところで晩酌するつもりじゃないだろうな」
四肢を貼り付けられた少年は柵にすがった少女に、いつもと変わらぬ愛嬌のある声で、彼女に声をかけた。
「あれ、もしかして泣いてるのか、どうしたんだ?」
「そんな凄いのを見て、泣くなというのがどうかしている」
「えっ!俺なに?もしかして全裸!?うわっそれは恥ずかしい!」
まず、目がつぶされていた。おそらく、目に魔力というものが宿るといわれているからだろう。
そして、手と足に楔が牢の壁に向かって突き刺さっていた。
最初に射られた時の矢も、そのまま刺さったままである。
なのに、あまりに変わらない少年に、唯蓮はびっくりして涙も引っ込んだ。
「ばか、服は着ている。ほら牢の鍵を持ってきた。ここから今すぐ出よう。体を直さなければ」
よろよろと、取り出した鍵をその牢に差込み、パチンと小気味よい音と共にあけた。
開けて、中に入ると一層血の香りがした。
再び涙が出そうなった、しかしここで泣いても何も始まらない。
唯蓮は彼の手に刺さった楔を引き抜こうとした。
「ふ…っ!ぬぬぬぬっ!!」
「あ、おい!何してんだ、やめろって、痛い痛い」
少年の声に、ハッとして、唯蓮はとっさに手を離した。
「す、すまない。けど早くしないと時間が無いんだ。ここから出ないと、近衛に気づかれたらもう無理なんだ」
「あんたは、それでいいのか?俺を逃がせば、いくら姫さんだって」
「その名はもう捨てることにしたからいい」
きっぱりと言い捨てた少女の言葉に、少年は体を少しだけ揺らした。
「捨てて…どうするんだ?」
この名を捨てるということは、国を捨てるということだ。この少女が国を捨ててしまう、俺のせいで?
少年はかすかに動く表情で彼女を非難した。
「だから、お前と行くんだ。星の向こうの星を見に、お前が私に気づかせてくれたんだ。欲しいものも願い事も考えればいくつもあるって、だから私はお前と一緒に行ってたくさんの願いを叶えに行く」
「ちょっとまて、なんで勝手に話が決まってるんだ。俺はあんたの命をもらいに来たんだぞ」
「そういえば、そんなことを言ってたな」
「…また、忘れてたな」
「いや、考えてた。なぜお前は私のところに来たんだろうと」
「それは…」
唯蓮のことばに少年は口ごもったように「たんなる、気まぐれだ」とつぶやいた。が、唯蓮はそんな少年に微笑む。彼女の艶やかな髪も綺麗な衣装も、美しい顔も、血と泥で汚れているにもかかわらず、それはとても綺麗な微笑だった。
「きっとな、ユイワンチョウのお陰だと思った」
「ユイ…そういえば初めにも言ってたな」
「ああ、綺麗で、大きくて、だけどとても悲しい目をした鳥だ。今はもうこの城に石造があるだけだが」
「石造?」
「長い年のなかで、ユイワンチョウはとうに滅んでいるのだ。3000年の歴史ある大国。聞こえはいいがただの年寄りの国だ。国鳥もそれを悟ってきっと自分の引き際を決めたんだと思う」
そう言うと唯蓮は城の何処よりも高くそびえ立つ塔に座する鳥を思った。
「ふーん、で?そんな石ころのお陰で、どうして俺がいるんだよ」
「ユイワンチョウは自由を象徴する鳥だ」
唯蓮は再び彼の楔に手をかけた。
「あ、おいっ、ちょっ…」
「お前が空から来たとき、本当に私は驚いたんだ」
楔に手をかけた手に、力を込めていく。
「ユイワンチョウが人になって私に会いにきてくれたんだと思った。それで一緒にここから出ようとそう言ってくれたんだと思った」
「いたた…っ!わ、悪かったな、こんな死神の魔法使いで」
「いや、お前はやっぱりユイワンチョウそのものだ。私に自由な考えを教えてくれた。だから、一緒に行こう、魔法使い」
力を懸命に入れて抜こうとするが、それでも楔は抜ける気配が無かった。
「星の向こうはやはり星だといったな、私はお前とそれが確かめに行きたい。星の向こうに、一緒に行こう魔法使い」
やはり泣けてきた。どんなに力を入れても楔は外れないからだ。
唯蓮の言葉に少年はあきれ交じりのため息を吐き。
「むちゃくちゃだ。けど、まぁいいか。あんたそれ、願い事にする?」
「いや、願い事はまだまだある。それにまだ死にたくは無いな」
「そりゃそうか。なら、こんなのはどうだ?」

魔法使いは、自分の悲惨な状況をものともせず。涙で瞳を曇らした少女に、提案をさしだした。

12.

「唯蓮!!」
牢の前には、テラスのときよりも多い兵士たちが、少年と少女の前に立ちふさがった。
取り囲む兵士たち。狭い牢屋はまるきりすし詰め状態である。
そして、その中でひときわ豪奢なよろいを纏った人物が、その牢の中で寄り添うようにいる少女に怒鳴りつけた。
「唯蓮!なぜこのような愚かなことをした!」
「自分のしたいようにしました。父上に愚かと諭されるいわれはありません」
兵士の真ん中に立つ王に、娘は毅然と言い放った。
「それが愚かだというのだ!お前はまだ14の娘だ、自分のしたいことなどと、そんなものがあるはずが無いだろう!きっと、その物の怪に誑かされてしまっているのだ。さぁ、戻ってきなさい。いまなら父はお前を許そうではないか」
そう言って、国王は牢の柵越しに手を差し出した。
しばし、その手を見つめた唯蓮。
14年、たしかにこの父は、私をかわいがり慈しんでくれた。
大事な娘と、自慢の宝石と。
小さな我侭もたくさん言ったし、小さなイタズラもしたことがある。
そのたびに父は仕方ないといって、娘のイタズラにも我侭にも許してくれた。
けれど、そのたび自分の大切なものはなくなり、大切な人は父によって奪われていった。
仕方ないと言って、私を許して、他を傷つけて。
唯蓮は父の手を見つめ、そして傍らの少年を見て、硬く握った拳を震わせると、国王の差し出した手を払った。
「唯蓮!」
「あなたは、私の友を牢獄に閉じ込めた。絶対に許さない」
その言葉と同時に、スルリと彼女の腰に腕が回された。
「ま、感動のお別れもいいけどさ。そろそろ俺の口も挟ませろよな」
ごう、と窓の無い地下牢に一陣の風が吹いた。
「き、貴様!どうやって楔をっ!それに目…」
今まで唯蓮に目を捕らわれていたせいで、少年の様子にようやく気づいた王と近衛たち。
「ああもう、ほんと参ったよ、この城の…なんてんだ、結界?おまけに封じ込めの楔ときたら、とにかくねちっこく人の魔力吸い取るし、俺もほとんど魔法使えねーわ、城から出られねーわで、うん、久しぶりの大ピンチだったな」
そう言いながら、唯蓮を自分の下によせて、青色の瞳を楽しそうに揺らしながら語る少年。五体満足のその姿に、驚愕しながらも、奥歯をかみ締め、国王は言葉を搾り出した。
「…そうだ。先の王たちが考えたこの守りのお陰で、今もこの国が貴様のような化け物に滅ぼされずにいるのだ。なのに、なぜ貴様、いまだに動けるのだ。そんなことは…」
「残念ながら、動いてるんだなこれが。確かに、俺一人の力じゃあのまま楔に刺されたまま干からびてただろうけど、今はこのとおり。元気な契約者がそばにいてくれてるんでね」
その瞬間、皆の視線は少年の傍らの唯蓮に集まった。
「唯蓮!!!」
「私はこの魔法使いと、契約をしました。命の契約です」
唯蓮はきっぱりとそう国王たちに告げた。
「なんと!なんと、愚かなことをしたのだ、唯蓮!そんなことが、民に知れ渡ったら、魔物に命を売り渡した姫と皆の笑いものとなるぞ!」
「ならば、死んだ者とすればいい」
微笑して、かつての父親に唯蓮は微笑んだ。
「私はこの者と行きます」
懐から小さな果物ナイフを取り出すと。それを自分の髪に当て、ばさりと髪を落とした。
「おい…、それは聞いてないぞ」
「どうせ旅をするには邪魔なものだ、ここに置いていく」
目をむいた国王たちをよそに、唯蓮は少年の首に自分の腕を回した。それに気づいた少年もあわてて彼女を抱き上げた。「もったいないなぁ」という少年のつぶやきを唯蓮はあえて聞かなかったふりをした。
ふわり、と彼女の体が少年に抱きかかえられて宙に浮いた。
そこでようやく彼女の髪から目を動かした国王。
「な、なにをしてる!皆のもの。さっさと姫を奪い返せ!あの化け物を取り逃がすな!!」
王の言葉でようやく動いた近衛たち。しかし、もともとすし詰め状態の上に牢屋は狭すぎて、一人兵士が動くたび、兵士たちはギュウギュウとつぶされて身動きが取れなくなっていた。
「ば、馬鹿もん!なにをしてるのだ、早くしろ!姫が…唯蓮!!」
けれども、どんなに懸命に動こうとしても、それは逆効果でしかなく、余計にがんじがらめになっていった。
「さようなら、父上。家族として過ごすことは無かったけれど、貴方のことは愛していました」

最後の言葉は果たして国王に届いたのかどうだったのか…

牢屋からかき消えた唯蓮には、知ることが出来なかった。

13.

風が髪の間を薙いだ。
草の匂いが、鼻をくすぐり、空には満点の星空がいっぱいに広がっていた。
「みろ、魔法使い。黄周があんなにも小さい。まるで私の小指の先と同じくらいだ」
どのような事をしたのだろうか。先ほどまで異臭のする牢屋にいた二人は、そこより遥か遠い岡のふもとに立っていた。
「おかしなものだな、あんなにも私を占めていたものが、今は私の小指ほどだなんて」
「そりゃ、どんなものも離れてみれば小さく見えるに決まってるだろ」
「…身もふたも無い」
そういう意味で言ったつもりでは無かったのだが。まぁいいか。そう唯蓮は思うと。傍らの少年を見た。
「そういえば、本当によかったのか。あんな願い事で」
唯蓮は今でも生々しく覚えている牢屋での出来事を思い出して少年に尋ねた。
楔を必死で抜こうとする少女に、名案とばかりにこう言ったのだ。

『あんたの願い事、全部叶えてやるって、願い事にしないか』

「いいんだよ、別に。それにあんたが俺を逃がすって願い事言ってくれたお陰で、俺もなんとか助かったんだし」
「それはそうだが、しかし、前払いじゃなかったのか?」
「…俺はケチじゃないんでね」
プイと横向いた少年に、唯蓮は笑った。
「なんだ、根に持ってたのか」
「ね、根に持ってるわけないだろ。単なる事実を言ってるだけだ」
「ま、そういうことにしておいてやるか。ああ、そういえば肝心な事を忘れていた」
くすくす笑い続けていた唯蓮がとたん笑いをやめて、こちらを真剣に見るので、少年は戸惑いながら首をかしげた
「どうした?」
「私としたことが、とんだ不覚。名前だ、お前の名前を聞くのを忘れてたよ」
「名前?」
「そうだ、なんていうんだ?」
少女の問いに、少年はたじろぎながら
「えーと、拒否しちゃ駄目?」
「なら、第二の願い事にする」
真剣にたずねる様子に茶化す気配はなかった。少年は、なんだか気まずそうに、その問いに応えた。
「ピーコック」
「ピー?」
「こら、勝手に略すな。ピーコックだよ、ピーコック。あー、もうとにかくこの名前嫌いなんだよ。なんか間抜けっぽいし」
「そうか、素敵な名前だと思う。確か南に同じ名前の鳥がいると聞いたことがあるな。お前の名前にぴったりじゃないか」
「そうかなぁ」
首をひねるピーコックに唯蓮は一人うんうんと頷いた。
「これで当初の目的が達成できた。さ、行こうか魔…じゃなくてピー」
「略すなって、大体何処へ行くんだよ」
すたすたと歩き出す唯蓮に、ピーコックは追いつくと尋ねた。
「もちろん、星の向こうだ。行くと初めに言ったじゃないか」
後ろについてきたピーコックに少女は楽しそうにそう言って、故郷の黄周を背に歩き出す。

「しかし、さしあたっては、冷たくて旨い酒を飲みに行くとしよう。まずはそれからだ」

肩をすくめながら彼女を追う魔法使い。

そんな二人の背後を見守るように…

故郷の塔の頭上で、唯一鳥が一際白く輝いていた。


















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