心臓のありかた



「う…ん」
ゆったりとしたシーツで包まるように肌の露出した女がそこに眠っている。
薄い金髪に、抜けるような白い肌。少なくともそれなり大きさのこの町で、彼女は一番の美女であった。
ハウルは静かにその女を眺めると、自分の衣服をさっと身に付け、気づかれないようにベッドから抜け出した。

パタン、扉をかたく閉じると、ハウルは小さく、小さくため息をひとつこぼした。

1.

「ハウルさん、お帰りなさい!」
「ああ、マイケルただいま」
早朝、城に戻ってきたハウルに挨拶をしたマイケル。返ってきた返事に「これは、きっと女の人がなびいたんだな」と一人なっとくする。ハウルは女性を口説いてる最中はぼんやりしていて、まったくこちらの言うことを聞いていないからである。
「カルシファー、起きてるかい。さっそくお湯をお風呂に送ってくれないか」
「それはいいけどよ、おい、お客さんだぜ」
そういって、カルシファーが促したとき、ドンドンドンと扉が鳴り出した。
「どうしたんだろ、こんな朝早くに」
マイケルが扉を開けようとしながら、首をかしげると「ポートへイブンからだよ」とカルシファーがいいました。
それを聞いたハウルは額に手を当て「あぁ・・・」とつぶやくと
「マイケル、カルシファー僕はそういえばとてもとても大変な用事を言い付かっていたんだ」
大げさに手を広げて言うハウルに、カルシファーが「誰からだよ」と言いました。
「それは言えない、とにかく大変で大変な仕事なんだ。だからちょっと今日は城には戻らない」
そこまで聞いて、ようやくマイケルもカルシファーも扉をたたいている人物に心当たりが出てきました。
「ちょっと、ハウルさん。困ります、またですか」
「そうだそうだ!女を城までつれてくるなよ、おいらあのキンキン声だけは我慢できないよ」
二人に抗議されるが、しれっとした顔で「僕が連れてきたわけじゃないよ」と言って、ドアの扉に向かうと黒にして、ノブを回す。
「ああ、忙しい忙しい、それじゃあ二人とも行ってくるね」
「ちょ、ちょっとハウルさん!」
「ハウル!!」
二人の叫びはおよそ、ハウルには届かなかった。

2.

あんたは怖いもの知らずね。
どこかの誰だったか、そういった人がいた。
違うよ、僕は怖い。だれよりもこの世界に震えている奴だ。
臆病に、臆病に。
背中を丸めて、角に隠れて…だけどそうすることも怖くてできない。

世界を拒絶することすら、恐ろしいのだ。


3.


「なんでハウルさんはあんな事するんだろう」
ぼろぼろの格好で、腕やら顔やらそこら中に引っかき傷を負ったマイケルは不満そうにつぶやいた。
先刻、案の定扉を開けてみれば、狂気をはらんだ瞳をした女がそこに立ち「ペンドラゴンは!?」と問い詰められた。
今はいない、といいマイケルは彼女をなだめすかせようとしたが無駄で、最後にはこらえきれなくなったカルシファーが怒鳴ると、女は恐怖でその場から去っていった。
「ハウルの女好きのことか?ありゃあ仕方ないね、病気みたいなもんさ」
「僕なら好きな人が一人いれば、それで十分だと思うけどなぁ」
そうつぶやいたマイケルにカルシファーが、ボフッと火を吐いて笑う。
「どうしたマイケル坊や。色気づいたことを言うじゃないか」
「ちがっ、ただ僕はそう思っただけで…」
「いいじゃねぇか、最近よくがやがや町に行ってるのは、ハウルには黙っててやるよ」
「ほ、ほんと!?」
「さてね、おいらは嘘つき悪魔だから」
ケケケ…と、面白そうに笑う火の悪魔に、からかわれてると、むくれたマイケル。
ボッ、ボッと火を吐き笑うカルシファーは、火をゆらゆらさせると
「おめぇはそれでいいだろうけど、ハウルは違う、奴は心臓がないからね」
「それは…、町のみんなが言うただのうわさでしょ?ハウルさんは確かに女好きで浪費家でどうしようもないけど」
「えらい言われようだな」
「そりゃ、毎日こんな傷つくらされて、パンとチーズを食べるのも精一杯な暮らしをすれば、誰だって。…けど、心臓がなくちゃ生きていけないじゃないか」
「だけど真実、奴には心臓はないよ。けれど生きてる…まぁ生きてるって言うのが、ただ生きるって意味なら、の話だけどな」
「それ、どういう意味?」
首をかしげるマイケル。カルシファーの言っている意味がよく分からなかった。
「心臓がないってのはさぁ、つまり心が無ぇってことだ。だからハウルの奴は女を誑かして心を奪おうとする。病気さ、ようするに無いものねだりの病気なんだよ」
「ふーん、それでハウルさんの心臓は元に戻るの?」
「全然、見当違いもいいところさ!」
「なんだよそれ」
あきれてため息をつくマイケル。
カルシファーの火は、ゆらゆらゆらゆら、どこまでも揺らめいて

「だけど奴は探してるのさ、自分心臓の代わりを埋めれるやつを」

そして、

「おいらは探してるのさ、あいつの心臓を見つけるやつを」


夜陰に混じるようなカルシファーの言葉は、なんだか乾いた昼下がりにとても不釣合いだと、マイケルは思った。

4.


出会ったのは五月祭。
華やいだ空気にハウルはいつもよりも念入りに風呂に入り、ヒヤシンスの香りをつけて町に下りていった。
みんな誰もが浮かれていて、着飾り、楽しく、くるくる笑いあっている。
楽しいね、楽しいとも!
やけっぱち気味にハウルは町を練り歩く、時折ハウルの姿を、歩く道すがら目で追う女たち。
けれどハウルは立ち止まらなかった、今とても誰かを口説く気にはなれなかったからだ。
振られた。
いや、振られたわけでもない、ただ否定されただけだ。

赤毛の綺麗な灰色ねずみに…


5.

なんてことだろう!
はじめ見たときそう思った。
背中を丸めて、角に隠れるように歩いている彼女を見たとき、無い心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
これほど力の強い瞳を持った少女を見たことが無かったからだ。
なのに、まるで空気に飲み込まれ、こそこそと彼女は静かな路地の方へと歩いていた。

どうしてだろう?
ハウルは心底不思議だった。
何ものにも負けない強い心(魔力も相当だが)を持っているのに、何がそんなに怖いのだろう。
背中を丸めて、角に隠れて、まるで僕みたいに
だけど決して世界に負けまいとにらみつけるその瞳。

ハウルは、恐る恐る彼女の方に近寄った。

6.

情けない顔をして、ハウルは自分の左手を見た。
勇気を振り絞って声を掛けたのに、ほとんど聞いてももらえず、彼女は走りさってしまった。
自分の手を振り払って、逃げられたのだ。
「なにも、あんなに怖がること無いのに」
自分が魔法使いのハウルだから逃げたのだろうか、それとも

「彼女は世界だったのかも知れないな…」

世界に恐怖する彼を、世界は受け入れるはずもないのだから。

7.

「ただいま」
返事は返ってこない。
その日、帰ったのはすでに夜中だったのでマイケルはとうに眠っていた。
もう一方の悪魔は、ときどききまぐれに「お帰り」というが、言ったためしがほとんど無かった。
夜中にカルシファーを起こすのもなんなので、暖かい飲み物はあきらめて、ハウルはごみための中から、ブランデーと、くすんだグラスを掘り出した。
それを並々と注ぎ、一気に飲み干すと、のどの奥から焼けるような熱さがこみ上げてきた。
「うへぇ、やるんじゃなかった」
咳き込みながらハウルがつぶやくと、ゆらりと暖炉の火がゆれた。
「ハウル、ついに見つけたね」
「カルシファー?」
ゆらゆら大きくなったり、小さくなったりする炎にハウルは首をかしげた。
「さて、僕はなにか無くし物なんてあったかな。僕が何を見つけたって?」
「心臓さ」
悪魔は笑い、ハウルも笑う。
「何をいまさら!僕はもう見つけてある、ほらそこに、お前の根元に転がっているだろう」
「違うね、ハウルが探していた、ハウルのじゃないハウルの心臓のことさ」
「…お前の言うことはときどき分からないな」
ため息を吐いて、ハウルは長椅子にゆったりと体を預けた。
「見付けた、ねぇ。そうだね、確かに見付けたな。かわいい女の子だ」
「ふうん、名前は?」
ゆらゆら、悪魔はたずねた。
「レティー、かわいい名前だろう?さあぼくの悪魔、これが僕の心臓かい?」
祭りの時に見付けて、好きになったのは、魔女の家に住む金髪の娘。
たしかに綺麗で、肌も髪も何もかもがハウルの好みと言えば好みだった。
ただどうして好きになったのかと聞かれれば「瞳が似ていた」と答えたと思う。
あの強烈な瞳と似ていると思って、つい気が引き付けられた。

一瞬だけカルシファーの炎がゆらりと、たゆたった。

「カルシファー?」
返事をしないカルシファーにいぶかしむハウル。
それでもただ揺れるだけのカルシファーにハウルは肩を竦めて
「そう、おしゃべりはもうおしまいってわけかい?それじゃあ僕も寝るとするよ」
そう言って、ハウルは長椅子から腰をあげたのだった。

ハウルが二階へ上がると共に、炎はゲフとひとつ炎を吐き。

「まぁつまり、あんたが見付けたって事は、おいらの探し物もじき見つかるってことさぁ」

ゆらゆら、ゆらゆら。
火の悪魔は楽しそうにたゆたった。

8.

新緑の鮮やかな季節。
「ハウール!!はやく、それ持ってきてちょうだい!」
ソフィーは有らん限りに遠くのハウルを呼び付ける。
すると、しばらくしてありったけの花を詰めた籠を下げてハウルがやってきた。
「まったく、僕の奥さんと来たら!人を使う天才なんだから」
よっこらせと、籠を花屋の玄関までもってくると、腰に手をあてているソフィーを恨めしそうに上目遣いで見やった。
「なによ、あたしも半分持つって言ったじゃない」
「だめだめ!これは僕が運ぶって決めたんだからね」
「なんなのよ、それ」
そう言うソフィーを後にハウルは生き生きと店に花を並べていく。
「ソフィー、ソフィー!この花はどこにならべるんだい?」
「そこよ。ああ違うわ、もう貸して!」
そう言って、ハウルから花を奪うソフィー。そうして、ようやく彼の姿に気づいた。
「ああもうっ!葉っぱがいっぱいくっついてるじゃない。ほらかがんでちょうだい」
そう言って、ソフィーはハウルにくっついた葉やら花びらをせっせと取り始める。
「まったく、普段は身なりに気をつけてるのに、こういう時には抜けてるんだから…って、なに笑ってるのハウル?」
へらへらと笑うハウルにソフィーはいぶかしむ。
細めたソフィーの目から青いきらきらとした瞳が見える。
その瞳で見つめられるだけで、心臓の鼓動が早くなる。
かがんだハウルを見下ろす風にしていたソフィーが、小首をかしげる。
そのせいでソフィーの長い髪がハウルの頬を掠めた。赤い髪は日に透けてとてもきれいだ。
このくすぐったい気持ちをなんて言えばいいんだろう!
ハウルは思わずソフィーを抱き込んだ。
「きゃあ!」
引き込まれたソフィーが驚いた声を上げる。
「もうっ、いきなり何をするのよ!」
文句を言うソフィーの声が耳元で聞こえたが一向にハウルは離そうとしなかった。
やっと見つけた、たった一つのこの世界に僕は恐怖を手放し、世界は僕を受け入れた。
幸せすぎて涙が出そうだった。
「ハウル?どうしちゃったのよ、ほんとに」
心配そうに見つめるソフィーにハウルはにこりと笑うと。
「なんでもないよ、愛しい奥さん、ところで僕が何を考えてるか分かるかい?」
そう言ったハウルの問いに、ソフィーは様子のおかしい旦那の考えを、真剣に真剣に考えて、こう言った。
「ぜんぜん分からないわ」
「君にキスをしたいと思ってるんだ!」

9.

「なんでハウルさんはあんな事するんだろう」
ぼろぼろの格好で、腕やら顔やらそこら中に引っかき傷を負ったマイケルは不満そうにつぶやいた。
まだ運ばれていない花をせっせと運ぶ途中でたくさんついた、傷である。
玄関で嫌がるソフィーに無理にじゃれつくハウルをみて、マイケルはあきれながらカルシファーにたずねる。
そんなマイケルにゲフゲフとカルシファーは笑うと
「ハウルのあれはなぁ、病気だ病気、草津の湯だって治せやしないさ!」
結局どっちにしたって、迷惑こうむるのは僕なんだ。とカルシファーの笑いを聞きながら、またせっせと花を運ぶマイケル。
仲のいいハウルとソフィーをみて、なんだかむしょうにマーサに会いたくなった。
「ねぇ、カルシファー」
「おうよ」
たずねたマイケルにカルシファーは機嫌よく答える。ゆらゆら揺れながら。
「これって、ハッピーエンドなのかな?」
「そいつは誰も分かんねぇな、分かんねぇし、分からないほうがおいらにとっちゃ楽しいね」


ゆらゆらゆらゆら、楽しそうに揺れながら。


お約束どおり、二人と、弟子と悪魔、そして時々家族も増えながら、動く城のみんなは




末永く幸せに暮らしましたとさ







++一言++

初のハウル小説。
え、主人公はもちろんカルシファーですよ?(笑




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